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Hanaduna ~花綵~
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HANADUNA ~花綵~ へようこそお越し下さいました。
ココログ-<花栞> を「日記草子:日々の呟き」と「芝居草子:木挽町覚書」に
立て分けてコンテンツを明瞭にすることと致しました!!。
<花筐>・<花便>にはブログに掲載しきれない記事やログを掲載しています。
<花綵>・<花栞> 共々、お付き合い下さいませ。
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2008年4月 5日 (土)

坂東玉三郎 中国・昆劇合同公演 観劇記

  旅行記 : 春の京都散策

【京都・南座】

§玉三郎丈配役
・「牡丹亭」 杜麗娘    月21日観劇
・「楊貴妃」 楊貴妃

中国・昆劇との合同公演となった今回の舞台は全編中国語で上演されました。
中国は大地も歴史も広く悠久なだけに演劇も全く違った趣を持っていて
日本ではかなりポピュラーな京劇に比べると昆劇は色彩も音曲も台詞も
流れるように優美でたおやかな印象を持ちました。
玉三郎さんにとっては入り易かったかもしれないと思います。

特に感心したのは、女方の俳優さんのソプラノも超えるような歌声です。
…どんな発声法を取得したら、この声音が出せるのだろう??… と
聞き惚れてしまう程の美声にただ驚き!!。
また、どちらかというと白黒ハッキリで力強いイメージが先行する京劇に比べ、
玉三郎さんが力強く見える昆劇の芸風に絢爛たる中国文化の一端を垣間見た思いがします。
中国の大きさ・深さは測り知れないですよね……。
そんな舞台感想を少々、記してみます。

『牡丹亭』
昆劇の作品に玉三郎さんが挑んだ舞台で、「杜麗娘」という一役を
3人の女方が演じる舞台となっていますが、
玉三郎さん・董飛さん・劉錚さんの3人がそれは美しい diamond
…女方の美しさに日本・中国の差はない!… ことを思わされました。
また、昆劇の台詞が古(いにしえ)の中国語であることも
とても舞台を流麗にしているように私には感じられました。

その中で短期間の内に、中国語を習得し
歌声を披露された玉三郎さんの取り組みには脱帽です。
昆劇の役者さんに比べて、表情が豊かで動きが大きいのは玉三郎さんらしさとしましょう!?。
(…そのせいか、とても力強く見えることは見えちゃうんですけどネ…)
それでも、昆劇の中に融け込み違和感を感じさせない領域にまで達している舞台は
彼の弛みなき精進を思わせるに十分でした。
…中国本土での公演も喝采を浴びることは請け合い!… を確信しているワタクシメです!?。

また、召使いの「春美」を演じていた女優・朱瓔媛さんの瞳の美しさは
今まで見たことがない程の輝きでした。
彼女の瞳が生まれ持つものなのか・お化粧の仕方なのか、
濡れるように潤む大きな瞳が、「杜麗娘」の儚い生命を嘆く場面にはただ感嘆……。
新人俳優が舞台人として成功するか否かの判断基準の一つは瞳の輝きとはよく言われ
多くの人気俳優の魅力はその眼力(がんりき)にあるとされ、
私自身も海老蔵さんの眼力に打ち負かされることしばしばですが(!?)
今回の舞台ではその瞳の美しさの威力を目の当たりに見せられた気持ちになりました。
瞳の美しさ、大切になさって下さいませネ (*^_^*)

夢の中で恋した人に心を奪われ、叶わぬ恋に嘆き悲しんで
最後は生命さえ落としていく乙女心を物語る筋書きは
ある種、平坦ではあるものの、古典劇らしいと言えるのかもしれません。
しかしながら、今回は原作自体が55幕ある内の<さわり>と言える
ほんの3幕だけの上演とのことなので、物語は壮大で奥深いもののようです。
目にした瞬間に、…原作を手にとってみたい… と思わせてくれる出来映えを思うと
蘇州の取材に出向いたはずが舞台に立つことになられた玉三郎さんにとって
…まず大成功!… と言える舞台であったといえるのではないでしょうか。

『楊貴妃』
こちらは夢枕獏さんの手によって描かれた作品ですが
今回はこの演目も全編中国語での上演でした。
舞台セットも一新され、演奏も中国人の手によるからか、
今まで目にした『楊貴妃』とはまた違った印象を持たせる舞台でした。

ただ、玉三郎さんの楊貴妃が醸し出す幻想的な美しさは変わりがありません。
歌舞伎の舞台とは一味違った独特の趣を漂わせて
現世の二人としては二度と見(まみ)えることが許されない玄宗皇帝への恋慕を
とても切なく謳い上げている作品にされていると思います。

その中で今回、私にとって新鮮な驚きだったのは
方士を演じられた中国の俳優・周雪峰さんが非常にお若かったことです!?。
今までの方士はどちらかと言うと円熟のイメージを持たせる俳優さんが演じて来られたのに比べ、
頭髪は真っ白でも若い俳優さんが演じる方士には何とも言えない清々しさがあって
…方士の神通念力は年齢に比例して与えられるものじゃなかったのネェ!?…
と言った非常におバカな感慨を持ったワタクシメ(!?) 、
(…余りにクレジー過ぎで呆れ果てる思いではあるが!?…)
配役の大切さをつくづく感じさせられました!?。
(…どうやら最近の私、海老蔵さんへの感嘆も含めて
  若いお方に大きな魅力を見出し始めているやも~… かも coldsweats01

中国語での上演が可能となってこの作品も5月には海を越えるようですが
本場・中国の方々にも驚きと喜びを以て迎えてもらえる舞台だと思います。
中国での大成功をお祈り申し上げたいと思います。

 

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2008年3月14日 (金)

坂東玉三郎特別舞踊公演 観劇記

【大阪・松竹座】

§玉三郎丈配役
・「京鹿子娘二人道成寺」 白拍子花子   月21日観劇

玉三郎さん・菊之助さんによる『京鹿子娘二人道成寺』が
押し戻しまでのフルバージョンを上演するとあって
3年半振りに大阪・松竹座まで出向きました。

大阪まで足を伸ばした今回の舞台の大収穫は
正直に申し上げれば、玉三郎さんではありませんでした。
何と言っても海老蔵さんの圧倒的な存在感を目の当たりにしたことに尽きます!?。
1月の新橋演舞場での一人五役を堂々とやり抜き、
39回公演の切符を完売させた自信と
座長も勤めあげるようになった役者としての自覚が
益々、<市川海老蔵>という役者を輝かせているのでしょうか……。
舞台を目にしながら、…これからの歌舞伎は市川海老蔵の時代を迎える!!… とも
実感させられた、そんな舞台感想なぞをひとくさり……。

『連獅子』
…少々、早すぎな~い??… とも思える海老蔵さんが
親獅子を勤めた『連獅子』は若さに溢れた舞台となっていました。

…『連獅子』って兄弟の物語だった??… と思わせる舞踊自体には
かなりの課題を残しているとは思うものの、
特に3列目の真ん中で目にした海老蔵さんの目力(めぢから)、
光芒を放つ強烈なオーラに圧倒されっぱなし…… (絵文字)
…市川宗家の御曹司の舞台とはこのようなものか… とも思わされ
つくづく、…これからの歌舞伎は市川海老蔵の時代が来る!… との
確信を持って帰って参りました。

子獅子の右近さんも、 …心底、踊りが好きなんだろう… と思わせる
躍動感に満ちた踊り手に写った 『連獅子』 ……。
今まで目にしてきた 『連獅子』 とはまた違った楽しみ方を見出したような気持ちです。

『京鹿子娘二人道成寺』
こちらはシネマ歌舞伎にもなった玉三郎さん・菊之助さんによる人気演目……。
市川宗家を迎えることを原則とする押し戻しまでの
フルバージョンになることを楽しみに拝見致しました。

玉三郎さん・菊之助さんのお二人は
今まで通り、時には身二つ、時には一人・花子 といった
可憐で幻想的な娘道成寺の世界を創り上げていらっしゃいます。
特に50代後半を迎えた玉三郎さんにとっては
菊之助さんとのコラボレーションは体力的に嬉しいことではないかと思います。
1日でも長く舞台に立つ為にご自分の体のコンディションを最優先させる
玉三郎さんの姿勢を思う時、舞台を目にする度にファンとしては
…これからもまだまだ目にできる shine…  と嬉しくなる舞台です。

…が…しかし…、私にとって今回の舞台の眼目は
やはり、最後に登場した海老蔵さん diamond
押し戻しの数分間、舞台に立たれただけですが、その印象、強烈でしたよ~!!。

大館左馬五郎の海老蔵さんを目の前にしながら
…彼って口跡もいいんだ!!… と今更ながら感心!!!。
(…エ~ッ!?、今まで気付かなかったのぉ!?…
 ホントに歌舞伎、観てんの~~ぉ??… とは、決して言わないように!?)

すっかり海老蔵さんに魅せられて帰って来たワタクシメ……。
新之助さんの時代同様、海老蔵さんに心奪われると
玉三郎さんがどこかに吹っ飛んでしまうこのは本当に玉に瑕(きず)ながらも(!?)
…お婆ちゃんになるまで歌舞伎を楽しめる糧がいよいよ本格的になって来たことを
 喜んでいいんじゃないか!?… と言う気持ちならされました。

 ~ 玉さまの次に本腰入れるなら、これからの時代は海老さま happy01

を胸に秘めつつ、これからも歌舞伎を楽しみたいと思い入った
大阪・松竹座の舞台でございました!!。

(とは言いつつも、当分は玉三郎さん第一 heart04
 海老蔵さんは玉三郎さんと芝居小屋が同じ時に舞台を楽しむことになりそうです!)

 

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2008年3月13日 (木)

Blog Pet 「ころ太」設置

歌舞伎関連の記事を書き上げた時のトラックバック用として
Hanashiori Blog Ⅱ に Hanashiori Blog Ⅰの
Blog Pet の 「ちょろ栞」・「モモ」の弟・子イヌの「ころ太」を飼うことにした
子ウサギより丸々、のんびりムードの子犬はかなりの癒し系
「ちょろ栞」・「モモ」とも仲良くさせなければ!?

【 グリーティングカードさま / 【 猫 の お凸(でこ)】・素材の蔵出し / Art.Kaedeさま 】

歌舞伎関連の記事を書き上げた時のトラックバック用として
Hanashiori Blog Ⅱ に Blog Pet の 「ちょろ栞」・「モモ」の弟になる
子イヌの「ころ太」を飼うことにしました。

桜や春の花に囲まれて暮らすように背景も4枚をチョイス!!。
 グリーティングカードさま の 秘密基地その2(Flash)
【 猫 の お凸(でこ)】・素材の蔵出しさま古城の桜 夜
Art.Kaedeさま「春・春の花2 時計付き」「春・桜の花1」 から背景をお借りしました。   

Image0312081_3 Image0312082
グリーティングカードさま
…春の森をお散歩…
【 猫 の お凸(でこ)】
素材の蔵出しさま

…夜桜を楽しんで…
Image0312083 Image0312084
Art.Kaedeさま
…春の花に囲まれちゃいました!?…
子イヌらしく<ノビ>が大得意!!

ピョンピョン跳ねる子ウサギや独特の雰囲気を醸し出すチャイルドンとはまた異なり
丸々としていて動きものんびりムードの子イヌは何とも言えない癒し系です。
それでも、「モモ」より言葉を覚えるのはずっと早く、
早速にコメントも投稿すれば、おしゃべりも始めてくれちゃってます!?。
「ちょろ栞」に負けない程、後ろ姿は可愛いですよ~~ heart01

我が家に15年近く暮らしたヨークシャテリアの「コロ」も
お座敷犬とは思えない程、丸々として愛嬌たっぷりだったところから名前をもらって
「コロ太」と名付けました。
「ちょろ栞」や「モモ」同様、少し動いて・よ~く眠ります!?。

これからは、「ちょろ栞」や「モモ」とも仲良くさせなくちゃ happy01
元気に育ってネ!、ころくん!!。

 

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2008年3月 8日 (土)

歌舞伎関連記事:移動完了

歌舞伎関連の記事は一まとめとし、HP・<花綵>で掲載していた記事も
舞台観劇の資料としてアップする為に立ち上げた Hanashiori Blog Ⅱ…
ページのレイアウトも終了し、本日で歌舞伎関連記事の移動も完了!
どうしかこうにか・何とか体裁がった
この次は、…どんな風に運営していくか… を楽しまないと!?

歌舞伎関連の記事は他に Blog をもう一つ立ち上げてまとめ、
HP・<花綵> で掲載していた演目紹介や
玉三郎さんご出演の舞台に関連した文学研鑽も
舞台観劇の資料としてアップしようと思い立ち、
Hanashiori Blog Ⅱ を立ち上げたのが先月……。
レイアウトも何とか終了し、本日で歌舞伎関連記事の移動を完了しました。

Hanashiori Blog Ⅰ には歌舞伎関連の記事は掲載されておりませんので
トップページから、Hanashiori Blog Ⅱ へぶらり歩きをお願い致します。

さて、この次は、… Hanashiori Blog Ⅱ を如何に運営するか… を考えないといけません!?。
…歌舞伎観劇の資料のほんの一端でにもなれたら… と思いつつ
楽しみながら、Blog 作りをして行こうと思います pencil

 

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2008年2月14日 (木)

Hanashioir Blog Ⅱ : 立ち上げ中

HPとBlogでは大きく表示方法-見た目が異なっている
特にHPだと立て分けが容易な異なったカテゴリーの記事がBLOGでは煩雑になってしまう欠点がある
それをいいことにHP作成時にかなり書き溜めた舞台関係の記事を封印していたが
Nifty接続ID を取得したついでに(ついでじゃなくても出来たことなれど!?)
舞台関係の記事は別のBLOGを立ち上げた

仕事で使用するからとHP作成に手を出したのが約10年前……。
その時は、…大ファンである玉三郎さん関連した記事を!!… と意気込み(!?)
歌舞伎の演目紹介や玉三郎さんの舞台に関連する
ちょっとした文学論等も手掛けていたのですが
一時期、実家の方に戻ったり、何だり(!?)している内に
BLOGが主流を占めるようになっていて私のモチベーションも下がったまま、
更新自体を止めておりました。

だったらBLOGを始めればいいんですよね~!?。
…ただですネェ…、プロフィールにも書き記しています通り、
最初はHP程、自由なカスタマイズが出来ないBLOGはどうしてもやる気が出ず
立ち上げても1年間は放置しっぱなしだったりと
テンション、恐ろしく低い日々が続きました。

それがちょっとした拍子に、カスタムCSSを使うと
かなり自由なカスタマイズが出来ることを知るに及んで一大奮起(顔文字)
現在の、<Hanashioir Blog Ⅰ> の運営をするようになったわけです。

しかし…またまた…ただですネェ…、
BLOGはHP程、カテゴリーの立て分けがスッキリ行かない為
歌舞伎の演目紹介は涙をのんでお蔵入りさせ、
玉三郎さんの舞台に関連するちょっとした文学論は
HP上に残してリンクさせる形を取っていました。

しかし…今度は…でもですよ!?…、
折角、書き溜めたものをお蔵や日陰において置くのが
何となく勿体ない気がしないでもないワタクシメであったんですけど… think
それに深夜番組で若い女の子の70%がBLOG作成をしているとの報道に
…ありきたりの日記を書いていてもねぇ… といった気持ちにもならされていました。

そんな時、ニフティ接続ID なるものが昨秋から取得できるようになって
そのご案内がよく届くのでサービス内容を確認してみると
「ココログフリーでBLOGも持てて…」 と書かれています。
…そうか~!!。フリーでもう一つのBLOGを立ち上げ立て分ければ
 お蔵入りさせた記事も全てアップ出来るじゃないのぉ !!。
 日記もいいけれどBLOGに歌舞伎関係の記事を中心にが載せられたら
 オリジナリティも出て、まさに一石二鳥!!…  ということに気付き happy01
 
早速、ID取得後、ココログフリーで新しいBLOG立ち上げにかかっております。
まだ、<工事中>状態ですが、この1ヶ月くらいかけてボチボチ整え、
春には本格始動させたいと思いおります。

基本的なイメージはこんな感じに仕上げつつおります。
 <Hanashiori Blog Ⅱ> 

…デザインは通年にしようかそれともどうしようか… 等、
まだまだ決めていないことだらけですし、
何より、今後は記事書きにも勤しまなければならなくなりまする (^_^)/~
(…その分、今までの<花栞>は少しばかりスローペースにさせようかなぁ… と
 検討中ではありますが!?。 
 ← <花栞>のu pdate のペースダウンが第一の目的では決してありませんけれどね~!)

当分はバタバタした時期が続くと思いますが
…性懲りもなく!?… と長い目で見てやっていただけますと幸いです。
宜しくお願い申し上げまする confident

 

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2007年12月24日 (月)

12月大歌舞伎

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役§
・「信濃路紅葉鬼揃」          鬼女  12月14日観劇
・「ふるあめりかに袖はぬらさじ」   お園  12月21日観劇

今月は筋書・インタビューの始まりが玉三郎さん、終わりが勘三郎さんといった
50代以下が中心となるエネルギーに溢れた舞台となっていました。
画期的な歌舞伎座で初公演となった『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を始め、
感動的な舞台が揃っています。
そんな感想なぞを少々、書き連ねてみます。

<昼の部>
『信濃路紅葉鬼揃』
観世小次郎信光作の五番目能『紅葉狩』を題材に新趣向の松羽目舞踊としたと
説明されている『信濃路紅葉鬼揃』ですが、娯楽性を考えると
お能を踏まえた半切・能面顔の美女が鬼に変化(へんげ)するより
綺麗な赤姫が急に立ち姿・歩き方から驚く程に変わって鬼となる
従来の『紅葉狩』の方が勝っているのでは…、が舞台を目にした第一の感想です。
今回の演出だと前シテの美女たちの動きが少なすぎる為に
変化に乏し過ぎる気がしたのは私だけでしょうか……。
しかし!、鬼揃はかなりの迫力!!。
玉三郎さんが目指す舞台を垣間見た気持ちになりました。

また素晴らしかったのが、勘太郎さんの山神!!。
ちょうど花道・スッポンの近くで見ていたので
特に山神の出と引っ込みの際の勘太郎さんの瞳の輝きに圧倒されました。
彼の眼力(めぢから)は素晴らしいですよ~!。
これからがとても楽しみな役者さんでいらっしゃることを確信した一瞬です。

『水天宮利生深川』 -筆屋幸兵衛-
こちらは勘三郎さんの熱演が涙を誘う舞台です。
…きめ細やかな情愛をたっぷりと表現できる勘三郎さんならでは… ですが、
初演でいらっしゃるからか、少し力が入り過ぎている感じはしました。
肩の力が抜けた時の筆屋幸兵衛は数段、良くなられると思います。

…しかし…それよりですねぇ…、涙する場面で平気でクスクス笑う
観客がこのお芝居を台無しにしていると大いに憤慨したのは
ワタクシメだけでありましょうか… /(>_<)\
子役さんが真剣にお芝居している姿は確かに微笑ましいとはいえ、
涙するところで笑ってしまう観客の感性は正直、理解できません (-_-;)
舞台では勘三郎さんが幸兵衛として本物の涙を流されているのに
子役さんが喋る度に、「クスクス」と笑いが起こるのは何故でしょうか?。
芝居は役者だけが作るものではなく、観る側の観客も舞台作りに
多大な影響力を持っていることを、私達はもっと自覚すべきでは…。
と言う前に、泣くべきところでクスクス笑いして平気でいられる
今の日本人の感性を何とかしないとネ…zzz…。
観客の大半は不思議な日本語を話す若者ではなく(!?)
…今の若い人は… と嘆く中年以降のオバサマ達なんですから……。

<夜の部>
『菅原伝授手習鑑』 -寺子屋-
何度、目にしたかわからない程、目にしている『寺子屋』ですが、
今回の舞台はとても新鮮な出来上がりとなっていました。
何と言っても、海老蔵さんの源蔵が期待以上の上出来 (*^_^*)
確かに素顔の目線が出てしまったり、浮いてしまう場面があったりはしますが
彼が源蔵のような役を堂々と演じ切れる役者に成長されていることに何より大拍手!!。
中でも、勘三郎さんの松王丸との手に汗握る睨み合いは迫力満点!!。
<昼の部>の勘太郎さん共々、代の歌舞伎界を担い行く役者を
目の前にした喜びを感じた舞台です。

勘三郎さんの松王丸は我が子を身替りとして差し出さねばならない
親の苦渋、悲しみが溢れ出ていました。
3列目の真ん中というちょうど真正面で松王丸を目に出来るとてもいいお席にいたお蔭で
我が子の首実検をした悲しみに暮れる松王丸に胸を締め付けられる気持ちになりました。
先代・勘三郎さんの松王丸は絶品と言われましたが、
当代・勘三郎さんの松王丸も彼の代表作となって行くことは
確かだろうと感じたワタクシメでございます!?。

『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
玉三郎さんが現代戯曲の作名作と言われ、上演を重ねる『ふるあめりか~』は
熊本・八千代座の上演以来の観劇となります。
今までの舞台とは異なり、歌舞伎座で歌舞伎として上演される
『ふるあめりか~』は楽しみに観劇しました。

先ず、歌舞伎座で役者総出演での上演に漕ぎ着けられたことに
心から拍手をお送りしたいと思います。
女優さんが舞台に立たれるのと異なり、歌舞伎役者でまとめた舞台は
懐の大きさを感じさせましたし、
特に玉三郎さんと勘三郎さんの丁々発止は実に見事!!。
玉三郎さんも念願叶って満足されているのではないでしょうか。

…ただですねぇ…、坂東玉三郎公演として使われる舞台小屋に比べ
規模も大きく横に広がりを持つ歌舞伎座の舞台は
役者のオーラや作品自体が放つエネルギーを分散させてしまいます。
今回の『ふるあめりか~』もご多聞に漏れず、八千代座等で目にした舞台より
薄まってしまっている感はどうしても否めません。
(とは言っても、そこは歌舞伎役者さんによる舞台……、
 薄まり方は悲惨の領域には届いていないのですが!?)
劇場が芝居の出来不出来に多大な影響をもたらすことを痛感させられた思いがします。

それにしても、玉三郎さんのお園は一時代前のきっぷのいい姐さん!!。
古き良き時代の日本女性の典型を目にするにつけ
…この感性を大切にしなければ… と思わさせれるワタクシメ、
そうすれば涙するところで笑ってしまう情けない観客にならずに済みますもの!?。
つくづく色々なことを考えさせられた今月の歌舞伎観劇でございました。

 

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2007年11月15日 (木)

坂東玉三郎特別舞踊公演 観劇記

【五反田ゆうぽうと】

§玉三郎丈配役
・「阿国歌舞伎夢華」 阿国   11月13日観劇
・「鷺娘」         鷺の精

今昨年の八千代座から数えると約1年ぶりとなる
玉三郎さんの舞踊公演を拝見しました。
今回は五反田ゆうぽうとでの観劇だったこともあるかと思いますが、
少々思うところ、多々ある舞台でありました。
その感想なぞをほんの少し……。

先ず、五反田ゆうぽとのことから触れてみます。
元々はバレエ公演用に設計された劇場と言われる劇場にはオーケストラピットがありますが
今回はそこも全て座席として使用しての公演でした。
オーケストラピットを客席とする劇場が全てそうなのかはわかりませんが、
私は、オケピのすぐ後ろ…前列から5番目の席だったのですが、この席は驚くほど舞台が見難い!!。
どのくらい見難いかといいますと役者さんの下半身が殆ど見えない状態なのです。
…いくら何でも、これはないですよねぇ … (-_-;) …。
ゆうぽうとにはコンサートや時局講演会等で何度か足を運んでいるものの、
ここまで舞台が見難いと思ったことはなかったので
…舞台によってこんなにも違うものなのね… と再認識させられました。
また、化粧室の数も驚くほど少ない!?。
1ヶ所が異常に混んでいる為、もう一つの化粧室に並んだのですが、
そこは男女共に一つずつしかありません。
となると玉三郎さんの観客層は圧倒的に女性ですから、女性用には長蛇の列!。
それに引き換え男性用はガラガラといった必然的な不均衡現象が起こり、
早めに並んだ私がちょうど男性用の前に居たものですから、
「男性用を使ったらダメでしょうか?」とすぐ後ろの方と話していたところ、
後列のおば様方から、「男性用だって大丈夫よ!。お入りなさいよぉ!?」との
これも当然のお声が沸き上がり(!?)、大渋滞中の高速パーキングエリアでの暴挙以来、
久方振りの <男性用トイレ堂々使用!!!> をさせていただきました!?。
その後、皆さんの続くこと!続くこと!。
「ゆうぽうとは再考の余地、大有りだ!」と声を大にして意見したい心境です m(__)m

といった劇場での(!?) 舞台は、さて如何だったかということになりますが……。
私が今回、足を運んだ目的の演目・「阿国歌舞伎」より「鷺娘」の方が格段に良かった現実を(!?)
今度は書き記してみます。

『阿国歌舞伎夢華』
玉三郎さんはこの演目に平成16年12月・歌舞伎座で初挑戦されていますが、
どうしてか私は目にする機会に恵まれず、今回が初観劇!!。
この舞台が目にしたくて舞踊公演のチケットを抑えたといっても過言ではないので、
かなり力の入った見方をしていたのですが、心に響いて来るものは大してありませんでした。
一つには現実に「傾き者」の仲間と舞い踊る阿国と
今は亡き愛しい人との幻想に耽る阿国の境(というか交わり)に
私が納得できなかったことがとても大きいのかもしれません。
しかし、それ以上の要素として「傾き者」を演じている猿之助一門の皆さんの容姿が
どの顔も浮腫んで(むくんで)汚く見えることも大きな要因ではないかと…zzz…。
特に名古屋山三の段治郎さんの腫れぼったい不機嫌に見える容姿には… (-_-;) …!?。
(…なぞと…、段治郎ファンの皆様、ごめん下さいまし… m(__)m …)
…当時の「傾き者」はみんな、あんなに浮腫んだ顔つきをしていたのでしょうや??…
まあ、平安時代の美形は下膨れですから、浮腫んでいたのかもしれませんが、
下膨れの顔と浮腫んだ顔は明らかに違うと私は思うのですが……。
お化粧の仕方が時代背景に忠実であると言えるのかもしれないとは思うものの、
現在人の骨格は阿国歌舞伎発祥時の日本人の骨格とは違いますもの……。
…忠実であればいいってもんじゃない!?… と、内心ブーブーだったワタクシメ、
ちょうどクライマックスとなる山三との邂逅の場面はその段治郎さんお相手なのですから、
…期待通りの舞台だったと喜ぶわけもなくで… でございました。(…zzz…)

ただ、その中で目を瞠ったのは玉三郎さんの目力(めぢから)の強さです。
ビデオ『東京蜃気楼』で、
「舞台の上ではその風景を見ている。そうすると、お客さんも同じ風景を見るようになる」と
語られたことがありますが、そのことを如実に証明する目力を阿国は見せてくれます。
…実際の阿国はどんな風景を目にし、何を思いながら人生を過したのだろうか…。
そんなことをフッと思い描かせてくれたひと時でした。

『鷺娘』
玉三郎さんにとっても十八番(おはこ)中の十八番だけに、
今回の舞台で何回目の観劇になるのかという程、目にしている演目ですし
今回の観劇目的が『阿国歌舞伎夢華』だったこともあって、
かなり力を抜いた観劇だったはずなのが『阿国歌舞伎夢華』が期待外れだった分(!?)、
『鷺娘』が物凄く上出来な舞台に映ったことを喜ぶべきか……べきかではありまするが(!?)
やはり、玉三郎さんの鷺の精は申し分がありません。
…何よりかにより綺麗だし、しかも儚いし哀しいし…
安心して観ていらる舞台を堪能させていただきました。

直前の『阿国歌舞伎~』に全く不納得だったワタクシメは
…やはり、玉三郎さんの舞台-中でも舞踊公演は美しくなくちゃネ!?…
を心底、実感した舞台でもありました。

 

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2007年10月26日 (金)

芸術祭10月大歌舞伎 観劇記

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役§
・「羽衣」     天女  
・「牡丹燈籠」   お峰  10月18日観劇

今月は予定がはっきりしなかった<昼の部>は何とか時間が取れた『羽衣』を一幕見で、
<夜の部>は一等席を確保しての観劇をして参りました。
季節外れの『牡丹燈籠』が芸術祭にふさわしいか否かは甚だ疑問ながら(!?)
その感想なぞを少々、書き連ねてみます。

<昼の部>
『羽衣』
歌舞伎座における上演は初めてとなった『羽衣』ですが、
舞台がやけに広すぎるように思ったのは上から俯瞰する形で見ているからでしょうか……。
能舞台に沿った作品を出発としている舞台に、歌舞伎座はどうやっても大きいのかもしれません。
玉三郎さんの優雅な天女の舞を見ながら、
…役者方のオーラが分散してしまうのは、何と残念なことだろう… といった気持ちになりました。
それでも楚々とした美しさが損なわれていない点には拍手を送りたいと思います。

また、ちょうどお隣に座った皆さんが海外の観光客の方々で、
”Do you knouw this story?” と尋ねられたので、以下のような
幼稚園児にも満たない英語力のお恥ずかしさながらご説明しました ^_^;

The angel(Tennyo) who got down in the beach
out of the heaven has forgotten her robe on a pine.
When the Hakuryu of the fisherman finds it and was going to take it home,
Tennyo who noticed that she forgot her robe.
She entreat him "Please wants me to return it".
Because Hakuryu granted the wish and returned it,
she was pleased very much.
And returned to the heaven while dancing.

それでも何とか通じるんだから(!?)、
(…実際にどこまで理解していただけたかは甚だ疑問ではあるが!?…)
臆せず、会話に挑戦することはとても大切ですよね~ (*^_^*)
玉三郎さんのことを、”He is the most famous KABUKI actor.”とご説明したので(!?)、
天女は特に一生懸命見て下さったようで
観劇後、”The costume is very beautiful!” と、衣装の美しさにとても感動されていました。
語学はわからなくとも舞台は人の視覚にも感性にも訴える力を持ち、
素晴らしさはしっかりと伝わっていくことを再認識して
…芸術は国境を越える…と言われる所以を見た思いがしました。
別れ際、ロビーに置かれているチラシを差し上げるととても喜んで下さり、
”Have a nice day!” と手を振って下さいました。

料金も手頃で、上演時間も程よい一幕見席には数多くの海外の方々が観劇にいらしていますが
舞踊劇ならまだしも、<夜の部>の『牡丹燈篭』のような歌舞伎狂言になってしまうと
質問を受けた場合、自分も観劇しながら演目の概要を説明するのは非常に難しいと思います。
(『牡丹燈籠』 で幽霊から貰った小判をお峰が腰を抜かしながら数える場面で
  …「チュー・チュー・タコカイナ…」=「ヒー・フー・ミー・ヨー…」 ながら
   「チュー・チュー・タコカイナ…」の面白さを、どう伝えればいいのか!?… なんて
 考えただけでも難しすぎるもの~~ぉ (^_-)-☆ )
海外の方に向けに英語版のチラシ程度は用意する等、
興行側も少しはサービスを考えてもいいんじゃないか…… とも思わされた一幕見です。
(…一幕見用の英語版イヤホンガイドを格安で本格導入すべきですよね!…)

<夜の部>
『牡丹燈籠』
…秋も深まる季節に怪談話でもなかろうに… と思わなくもないながら(!?)
(…怪談だからではなく、雨の日など空気の冷たさで寒くなりそうですものね!…)
先月とは大きく異なり、気世話物のしっかり女房役の玉三郎さんは
人情味たっぷりな仁左衛門さんとの息もピッタリで、大いに笑える舞台です。
元々、文学座上演の為に書き下ろされた台本らしく台詞の多さには観客が圧倒される感じがして
…覚えるだけでも一苦労だろう… と思う程ですがお二人とも楽しそうに演じていらっしゃいました。

ただ、前半の貧乏暮らしのお峰を演じる玉三郎さんは全くの
「男女(おとこおんな)」に私の目には映ってしまい、
… どんな役者さんが演じられても … でしょうけど、
もう少し何とかならないもの!?… と … (@_@。。。 …
今の玉三郎さんの肌の状態や体格で長屋のおかみさんの顔の作りや
体の線がはっきりと出る浴衣は、かなり、男性を如実に見せてしまうようです!?。
(…まあ、格好もヘチマもない(!?) 役柄なので、
 リアルと言えば非常にリアルではあるんですけれど…!?…)

お芝居自体は爆笑続きの中に、重いテーマを持っています。
貧しくとも夫婦仲良く肩寄せ合っていた長屋暮らしから
幽霊に百両をもらったことで有頂天にもなり、事業も成功させて裕福になってみると
亭主は浮気をし始めて夫婦仲がギクシャクしてしまい
「どっちが幸せか不幸せかわからない……」と呟くお峰の姿に
人間の醜さや悲しさの実相が垣間見えたように思ったのは、果たして私だけでしょうか……。
強欲な知恵を絞るお峰とそれに簡単に乗ってしまった仲蔵や
不義密通の上に殺人まで犯した源三郎・お国が味わう因果応報の悲劇とも相(あい)まって
三遊亭円朝さんによる落語でも語られる作品だけに一つの風刺が奥深い教訓となっています。
深く考えさせられる人生の命題です。

『奴道成寺』
道成寺ものの中でも狂言師・左近が踊る舞台はまた違った趣があります。
安珍・清姫の恋の悲劇が舞台の中でも物語化されている(左近が物語として踊っている)
『奴道場寺』は、素直に舞台の華やかさを楽しめる気持ちがします。
特におかめ・ひょっとこ・お大尽の3つのお面を使い分ける見せ場は
踊り巧者な三津五郎さんの実力を十分に見せていました。
この舞台で玉三郎さんのお弟子さんである玉雪さん、
功一さんの名代昇進のご挨拶もあった上、
昨年の 『二人道場寺』 に続いて、またまた手拭いを手に出来たこともあり(!?) 、
とても楽しめた舞台です。

 

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2007年10月20日 (土)

-歌舞伎探訪- <歌舞伎>の歴史

【 歌舞伎探訪 : <歌舞伎>の歴史 】



-目次-
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<歌舞伎>の歴史

 

  1.歌舞伎の始まり
  歌舞伎の発祥は、出雲の阿国(おくに)という女性が1598年(慶長3年)に、
  <ややこ踊り>という子供の踊りを披露して人気を得たことから始まりました。
  しかし、お国が年頃になって<ややこ踊り>が踊れなくなった為、
  1603年の北野天満宮興行の折り、<歌舞伎踊り> と改名したところから
  ―歌舞伎― の名が用いられるようになったと言われています。    

  阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったもいわれていますが、
  定かなことは不明です。
  「歌舞伎」は -傾く(かぶく)- という言葉から来ていることは
  「歌舞伎の語源」 で記述しましたが
  阿国はその時代の流行・風俗に合わせた
  派手な着物・男髷・首から十字架・長刀といった
  所謂「男装の麗人」といったスタイルで茶屋の女と戯れる踊りを披露して
  当時の最先端の演芸を生み出しました。
  またこの頃、能舞台などが舞台として使われた名残として花道が作られ、
  下手側が本花道/上手側が仮花道 とされたと考えられています。

  2.女歌舞伎・若衆歌舞伎
  阿国が評判になると多くの模倣者が現れました。
  当初はカブキが -歌舞妓-  と書かれたように、
  当時は女性のみによって行われていました。
  しかし、彼女たちが遊女のような行為もした為、風紀を乱すとして
  幕府の取締りに遭い、<遊女歌舞伎(女歌舞伎)> は1629年、禁止されてしまいます。

  代わって登場したのが前髪を剃り落としていない少年が演じる <若衆歌舞伎> です。
  ところがこの時代は、「衆道」(男性同士の恋愛)が盛んな時で、
  役者を巡るトラブルが多発したり売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行した為に、
  1652年にこちらも幕府から禁止されてしまいます。

  そこで、…若衆の色気がなければ… と、前髪(若衆の象徴)を剃り落とした
  成人の髪型(野郎頭)で舞台を勤める<野郎歌舞伎> が登場し
  歌舞伎の原形となったとされています。
  こうした経緯から、歌舞伎においては男性役も女性役も全て男優が演じることになり、
  男性ながら女性役を勤める <女形> が存在るようになりました。

  3.元禄期の歌舞伎
  元禄年間に入ると庶民文化が全盛となり、歌舞伎も江戸・京・大坂で
  合計11座が幕府公認の芝居小屋となり興行を行うようになって行きました。
  江戸では市川団十郎による <荒事> が大評判をとり、
  上方では坂田藤十郎や女形・芳澤あやめ達による <和事> が流行し、
  娯楽として確立していきます。
  歌舞伎は江戸期の文化爛熟の中で洗練され完成して
  独特の美の世界を形成するに至っていると言えます。

  一方、近松門左衛門等の出現で、「狂言作者」という地位が
  独立した生業として成立していったのもこの頃のことです。  

  4.歌舞伎と人形浄瑠璃
  享保年間に入ると、徳川吉宗の享保の改革に伴う諸政策で緊縮財政が進められる一方、
  大奥女中の江島(絵島)が仕えていた
  7代将軍家継の生母・月光院の代参として増上寺を参詣した帰途、
  山村座の丹前役者(人気役者)・生島新五郎と密会をしたのを咎められ、
  江島は信州高遠に生島は三宅島に流され、
  江戸四座のひとつ山村座が廃絶となった江島生島事件が起こったこともあり、
  歌舞伎人気は衰退しまいます。

  代わりに人形浄瑠璃が盛んになって、浄瑠璃で人気を博した作品を
  歌舞伎でも演じると言う形がとられるようになりました。
  しかし、その人形浄瑠璃が豊竹座・竹本座の凋落で
  衰退すると再び歌舞伎が人気を取り戻します。
  人形浄瑠璃の世界から歌舞伎界に移った劇作者・並木正三が
  舞台機構を考案し写実的な演技が創造されたり、
  浄瑠璃の発達によって舞踊劇も盛んに演じられるようになっていきます。

  歌舞伎は成立の過程から -歌舞伎踊り-
  -歌舞伎劇- に立て分けられるとも言われます。
  舞踊は<若衆歌舞伎>までの流行歌に合わせた踊りを指しており、
  <若衆歌舞伎>ではアクロバットなども行っていたそうです。
  一方、<歌舞伎劇>は江戸時代の庶民の娯楽として製作される内、
  現代に見られるような舞踊的要素を備えた演劇となっていきました。
  <若衆歌舞伎>が禁止される際、舞踊主体の公演は売色等を伴っており
  風紀上望ましくないと考えた幕府より「物真似狂言尽くし」を
  義務付けられたことも演劇的発展の一因となったと考えられます。
  演劇の内容は史実や物語・事件などを題材にして演じる芝居であり、
  <歌舞伎狂言> とも呼ばれるようになりました。
  現代の映画・ドラマにワイドショー的な好奇心を満たす
  視覚・聴覚を動員したエンターテイメントとして形成されていったと言えます。

  また、こうした歌舞伎独特の形式が誕生した一因として
  歌舞伎専用形式の劇場が誕生したことも無関係ではありません。
  引き幕によって時間を区切るという演出は物語に時の流れを自然に導入し、
  複雑な劇の展開を可能にしましたし、
  能の舞台から引き継がれた花道が客席を貫いて
  歌舞伎役者が登場・退場する舞台の一部となったことにより、
  他の演劇には見られない2次元性(=奥行き)を、
  またセリと宙乗りにより3次元性(=高さ)を獲得し高度な演劇へと進化していきました。

  5.文化・文政期の歌舞伎
  歌舞伎が時と共に庶民の娯楽として完成されて行くに従い、
  寛政の改革によって緊縮財政は更に徹底され、統制は一層厳しくなりましたが、
  歌舞伎は更に庶民の中に浸透し盛んになって行きました。  

  文化・文政年間は爛熟した文化の時代と言われ、
  低所得者層にも遊芸の稽古事熱が盛んになって行きます。
  歌舞伎も時代の要求に応じ、鶴屋南北は残酷さ怪奇さを強調し、
  社会の底辺に生きる人達の様子を現した写実的な芝居脚本を手掛けています。
  この頃になると、一人で男役(立役)と女形を演じる、
  いわゆる 「兼ねる」役者 も存在を確認できるようになります。

  6.幕末期の歌舞伎
  天保年間になると鶴屋南北をはじめとする狂言作者や
  人気俳優が次々他界して新旧の交代期となり、
  興行的にも中村座と市村座が火事で焼失したことを期に
  幕府から江戸三座は猿若町(今の浅草付近)への移転の命が下ったり、
  海老蔵(後の七代目団十郎)が贅沢禁止の令に背いた罪で
  江戸を追放される等、凋落していきます。

  しかし、江戸三座がまとめられた猿若町には歌舞伎の小屋だけではなく、
  人形芝居の小屋も建てられたり、観客目当ての芝居茶屋も出来て繁昌し、
  また出演俳優や狂言作者・演奏者・裏方達の住居も出来上がる等、
  芝居の町として幕末期急速に発展をとげて行きました。
  この繁栄が新しい時代・明治期の歌舞伎の盛り上がりへと続いていきます。

  7.近代の歌舞伎
  明治維新を迎えると、それまでの扇情的な題材から
  外人や上流社会の人々の観賞にも耐えうる作品を上演しようという「演劇改良運動」が起こり、
  明治24年には井上馨外務大臣宅に於いて天皇の御前で上演する「天覧劇」が
  当時の名優を一同に会して行われました。
  この事により、江戸幕府下においては役者は士農工商のいずれにも属せず
  河原等の屋外で芝居を上演していた為、
  歌舞伎役者等芸人は「河原者」・「河原乞食」と呼ばれて、
  蔑まれてきた社会的地位を向上させたいという悲願が叶いました。
  明治22年には歌舞伎座が出来、9代目市川団十郎を座頭として
  5代目尾上菊五郎らの名優が次々と名舞台を披露して行きました。

  一方、江戸歌舞伎は、明治26年の狂言作者・河竹黙阿弥の死に続き、
  36年に団十郎・菊五郎の相次ぐ死の前に終焉を迎えていきました。

  明治40年代に入ると洋風劇場(有楽座・帝国劇場)が開場、
  また新劇運動も起こり、旧派(歌舞伎)に対する新派が人気を得る等、
  ヨーロッパ近代文芸思想が普及し、自然主義文学も興って、
  大正初めまでの期間に歌舞伎も大きく変貌を遂げていきます。
  大谷竹次郎は新富座・歌舞伎座・明治座・市村座を買収、
  更に帝国劇場を10年間借りて東京・関西の歌舞伎俳優を掌握し
  歌舞伎の近代化実現に努めました。
  昭和3年にはソ連に於ける初の海外公演も上演されています。

  8.戦前・戦後の歌舞伎
  第2次世界大戦の足音が聞こえ始めた昭和15年には
  大正13年に開場した築地小劇場が国民新劇場となり、
  翌年には日本移動演劇連盟が出来て公演の合間に
  各地への慰問が行われるようになって演劇も軍部政策に組み込まれていきます。
  戦争が激化した昭和19年3月には全国の大劇場に閉鎖命令が出され、
  翌20年には空襲で歌舞伎座・新橋演舞場・明治座など
  多くの劇場が焼失してしまいました。

  終戦後の9月には歌舞伎興行が再開されましたが、
  進駐軍の命令により反民主主義的な演目や仇討ち物の上演は禁止され、
  22年に歌舞伎に深い造詣と理解のあるフォビアン・バワーズ氏の登場を見て
  全面解除するまで古典的な演目を上演することが出来ませんでした。
  それでも、昭和24年末には<武智歌舞伎>が出現したり、
  再建された歌舞伎座や新橋演舞場でも新作歌舞伎が上演されるようになった上、
  演劇のジャンルを越えた共演も行われ始めて
  映画や新劇に出演する歌舞伎俳優も相次ぎました。  

  昭和20年代の終わりになると歌舞伎俳優自身が
  主催する会が次々に行われるようになります。
  29年には東横劇場が竣工、その前年に開始されたテレビ放送では
  歌舞伎も中継されるようになります。
  また、30年からは海外公演も再開され、国際化にも拍車がかかるようになりました。

  40年には歌舞伎が無形文化財として制度化され、 
  翌41年には帝国劇場が再建、国立劇場も開場して
  芝居上演の機会が多く得られるようになります。
  この国立劇場では毎年夏に「歌舞伎鑑賞教室」が開かれて若い観客層の開拓に努める一方、
  地方公演も行われて歌舞伎に触れる機会を増やす努力も行われるようになりました。
  その後も若手歌舞伎俳優のブームやスーパー歌舞伎が大人気を博す等、
  歌舞伎は変わらぬ人気を保って現在に至っています。

 

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