2008年6月29日 (日)

シネマ歌舞伎 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

【東劇】

§玉三郎丈配役
・「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 お園  6月20・27日観劇

昨年12月の歌舞伎座で玉三郎さんの念願が叶った 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 が
シネマ歌舞伎として上映されました。( 東劇 : 5/31~6/27 )
以前もシネマ歌舞伎を鑑賞した折に書き記しましたが、ライブの舞台を映像化することに関して
実際の舞台に満ちている<気>(オーラ)までは伝わらず、感動は薄れるという思いは、
今も私の心の片隅にあります。

しかしその思いを払拭してしまう程の出来映えを感じたシネマ歌舞伎は、
前回、目にした 『京鹿子二人道成寺』 でしたが
今回の 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 も、実際の舞台を凌ぐ映像になっていると
認めていい素晴らしい映画となっていました。
歌舞伎にとっても、画期的なことだと実感します。

特に、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の他の舞台と歌舞伎座での上演を比較して、
…舞台が横に広すぎて役者のオーラが拡散されてしまっているのでは… と
いった感想を持っていただけに、役者をクローズアップできる映像の威力が
今回のシネマ歌舞伎には遺憾なく発揮されていて、とても上質な映像に仕上がっていました。
また、よくテレビ放映される劇場中継等と比較して雑音もなく
映像も非常に綺麗に撮れていて申し分ないと思います。

ここでこの作品の出典を探ると、染崎延房 ・『近世紀聞』 2編の
以下のような一節をあげることが出来ます。

露をだもいとふ倭(やまと)の女郎花(をみなへし)
               ふるあめりかに袖はぬらさじ

 此(この)喜遊(きゆう)の伝(でん)は
 其頃(そのころ)阡佰(ちまた)に鱠炙(くわいしゃ)し
 今尚(いまなお)口碑に残りたり
 這回(このたび)此(この)を綴るに至りて或(ある)一書を閲(けみ)せしに、
 渠(かれ)が事蹟を載(のす)る処
 是彼(これかれ)同一なるを以て這此(ここ)には抄出なせるなり。
 今の開花に比ぶる時は頑僻(がんへき)なるに似たれども、
 此頃(このころ)は娼妓だも洋夷(ようい)を悪(にく)む斯(かく)の如し。
 況(まし)て慷慨(こうがい)の有志をや。当時の風俗推(おし)て知るべし。

幕末から明治維新にかけての激動期、日本は、<攘夷派> と <開国派>に分かれました。
しかし、これを女性の立場から取り上げてみると、数百年に及ぶ鎖国は
異人を忌避する風潮を生んで行ったといえるのではないでしょうか。
その中で亀遊(喜遊)は、医師・太田正庵の娘として少女時代を過ごし、
両親の死後に吉原で遊女となった後、
横浜・岩亀楼に住み替えて「喜遊」を名乗るようになり、アメリカ人・イルウスに見初められたものの
同衾することを拒否し、…短剣にて喉を刺串(さしつらぬ)き… 自害したと伝えられています。

こうした伝承を咀嚼して、優れた戯曲に創り上げた
有吉文学の力量には脱帽せざるを得ませんし、
何と言っても、お園というとても魅力的な女性を登場させることで、
豊かな彩りが添えられると同時に現代社会にも通じる問いかけをも発するに至っています。

また、戯曲・『ふるあめりかに袖はぬらさじ』をより楽しめる作品へと高めるのは
お園を演じる役者の力に任されることになるといえましょうか…。
私の中でお園は女盛りの30代後半、
…お節介で情に厚いがお酒とおしゃべりが過ぎて bottle … の芸者姿の向こうに
ただひたすらにその時を生き抜こうとした女性のけなげさ・ひたむきさが、
観劇するたびに胸に沁み渡るのも舞台のお園像がもたらしているのに間違いないことを思うと、
…どんな役者が演じるのか… がどれ程、重要なことであるか…… をつくづく思わずにいられません。

この点、杉村春子さん以上の上演回数を数えるようになった玉三郎さんのお園は
とても原作に忠実でありながら、書籍の枠を飛び越えた魅力を放っているのではないでしょうか……。
だからこそ、上演回数を重ねて来られたとも言えると思います。

この作品の眼目は、亀遊の死は極く個人的な感情から発作的に起こった自殺だったと言う 【実像】
時代の激流の中で、<攘夷女郎>として志を貫いた自害と言う 【虚像】 にすり変えられ、
利用価値を生んで独り歩き( というより暴走(!?) )し始めてしまう世の中の不条理を取り上げ
その渦の中にお園を置くことによって、 【虚像】 が時として社会の現実としてまかり通ってしまう滑稽さを
涙と笑いの中に描き出している点にあるのではないか…… と私は思っているんですけど、
玉三郎さんのお園は、そんな社会の摩訶不思議をとても雄弁に語っているように思います。
それだけに、最後に抜刀された恐怖に腰が抜けたまま毒づく場面で
「みんな嘘さ、嘘っぱちだよ。
 おいらんは・亀遊さんは、淋しくって・悲しくって・心細くって、ひとりで死んだんだ…」 には
心に深く響く優しさが溢れていました。

しかしながら、役者を大胆にクローズアップ出来るだけに
実際の舞台では感じることもない感想を持たせてくれる一面もあります。
…突出した新しい驚きを取り上げるとすると…、
作者・有吉佐和子さん独特の時代を風刺した喜劇だけに
玉三郎さん演じるお園が粋も辛いも噛み分けた
年増芸者としての着付けや化粧の仕方をしているからでしょうか……。
玉三郎さんの男性と年齢を感じさせるお姿には少なからず、吹っ飛ぶ場面が数回あります!?。

特に全編を通じて感じさせられるのは、玉三郎さんの声音(こわね)が壮年男性のそれであること!!。
年増となると、どうしても高い音域の声には出来ないのですから低くなるのは当然なんですけど、
実際の舞台では動く出演者を目で追うことに心を奪われているからでしょうか……、
観劇した時にはそれ程、感じなかったその声が
すっかりある程度、年齢の行った男性になっているのにはかなり驚かされます。

また、攘夷派の前で辻褄の合わない話を披露する失態をしでかして刀を抜かれ腰を抜かすものの
「抜き身が怕くて刺身が喰えるかってんだ!」と強がる最終場面の
お園の腰から下のラインは、丸ごと男性そのもの~~!!。
…この方、男性だったんだ!!… と痛感させられる一場面になっていること、請け合いです!?。
( …って…、これじゃぁ、褒めてるんだか……してるんだか!? ではありまするが sweat01 )

シネマ歌舞伎の中のお園の玉三郎さんを目にしていると
…女形である前に、この方は <役者> でいらっしゃるんだなぁ… との思いで
久し振りにいっぱいになりました。
私が玉三郎さんを、…単に綺麗なだけの女形だけではなく、一人の <役者> でいらっしゃる…
と実感したのは映画『ナスターシャ』のムイシュキン公爵ですが、この時と同じ感銘を受けた心持ちです。
いつもの舞台で観ている玉三郎さんとはまた別の顔を垣間見ることが出来る
とてもいいチャンスとも申せると思います。

それからお化粧の仕方を言えば、アップになった時の勘三郎さんの老け具合が
しっくり似合ってしまってる点も凄いですよ~!!。
…彼も初老だったのねぇ!?… と、思い切り感じさせられました!?。
(…って…、実年齢を考えたら、確かに初老でいらっしゃいますから、
 当然と言えば当然のお姿なんでしょうけれど!?
 ← …でもねぇ…、やっぱり・ちょっと納得できないのは、如何なる故でありましょうや??
   我ながら不思議な気持ちになりました。)

今後も勘三郎さんの 『文七元結』 や 『三人連獅子』 等が上映予定の由……。
DVD化されることも切望しつつ、これからも大いに楽しみたいと思います。

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2008年6月22日 (日)

-舞台散策-(演目紹介) 『十六夜清心』

【 舞台散策 : 『十六夜清心』 】


-目次-
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『十六夜清心』
いざよいせいしん
-花街模様薊色縫(さともようあざみのいろぬい)-

 

作 者   河竹黙阿弥
初 演 安政6年2月、江戸・市村座
背 景 市川小団次贔屓の「鬼薊清吉(おにあざみせいきち)」という洒落た名前の罪人と
御金蔵破りの盗賊・藤岡籐十郎の事件を絡めて作られたお話です。
あらすじ  極楽寺の所化・清心は扇屋の遊女・十六夜に馴染んだための
女犯の罪で追放になってしまいます。
一方清心の子を宿した十六夜も廓を抜け出し、思い余った二人は
川に身を投げて心中を図りますが、
十六夜は俳諧師・白連に助けられて発心し、清心の菩提を弔う旅に出ます。
清心も死にきれないまま、偶然に五十両を持って通りかかった十六夜の
弟・恋塚求女を金のために殺してしまいます。
おさよと名乗り尼になった十六夜と盗賊・鬼薊の清吉となった清心は
箱根の山中で再会し、共に悪人になり果てて白連を強請りますが、
彼こそ清心の兄である大盗賊・大寺正兵衛と分かった上、
清心が殺した求女が十六夜の弟と知れると、因果の恐ろしさから自害するのでした。

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2008年6月16日 (月)

-舞台散策-(演目紹介) 『阿古屋』

【 舞台散策 : 『阿古屋』 】


-目次-
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『阿古屋』
あこや
-壇ノ浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)-

 

作者   文耕堂・長谷川千四 合作
初演 <人形浄瑠璃>  享保17年、大阪・竹本座
<歌舞伎>     寛政8年5月、江戸・桐座     
背景 全5段の『壇ノ浦…』の3段目が残り、琴・三味線・胡弓を使っての責め場から
俗称「阿古屋の琴責め」といわれています。
あらすじ  平家が壇ノ浦に滅んだ後、悪七兵衛景清は仇を討とうと源頼朝を
つけ狙っていました。
一方、源氏方も必死の平家残党の詮議を行っており、景清の行方を訊ねるため、
愛人-五条坂の遊女・阿古屋を捕らえて問注所に引き出します。
詮議は冷酷な岩永左衛門と情け深い畠山重忠が執り行います。
岩永は阿古屋を拷問にかけようとしますが、重忠は三曲(琴・三味線・胡弓)を
持ち出して阿古屋に演奏をさせ、その音色に乱れがない姿を見て
真実、行方を知らない証拠だと認めて釈放するのでした。

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2008年6月15日 (日)

-舞台散策-(演目紹介) 目次

【 舞台散策 : 目次 】


-目次-

             ●あ行
              『阿古屋』
              『十六夜清心』

 

  <ご挨拶>
  …小さい頃から目にしている歌舞伎に関するページをもう少し充実させられないだろうか… と、
  思い立って、Hanashiori Blog Ⅱ を立ち上げた一つの理由が、以前のHPで取り上げていた
  演目紹介をすることでした。
  そこで、手元にある演目紹介から挑戦してみようと思います。
  歌舞伎観劇時の手助けの一端にでもなってくれれば嬉しいのですが……。

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2008年5月26日 (月)

4月大歌舞伎

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役§
・「熊野(ゆや)」  熊野
・「刺青奇偶」   お仲  4月25日観劇
・「勧進帳」     義経  4月18日観劇

歌舞伎座120年を寿ぐ4月大歌舞伎を観劇して早1ヶ月……。
何やかやと(!?) 忙しくしている毎日に紛れて
観劇記をサボっておりましたが、やっと書き付けました。
4月の舞台は仁左衛門さん・玉三郎さん・勘三郎さんがメインの華やかな舞台でした。
その感想なぞをひとくさり……。

<昼の部>
『熊野(ゆや)』
能の『熊野』を題材に明治期、長唄として作曲された作品を
平成14年、玉三郎さんが歌舞伎舞踊として舞台化した作品だけに
どちらかと言うと、静かなイメージの舞台です。
近年の玉三郎さんはお能から新作を立ち上げられることが多くなっています。
華やかな歌舞伎舞踊とは趣が異なり、
能面を着けた役者が表情ではなく、体から醸し出す気(オーラ)から
登場人物の感情を表現する能を踏まえての舞踊は感情移入がそれ程ないだけに
観客にとっては芝居に入ることが難しい場面が多いかもしれません。
昨年12月の『信濃路紅葉鬼揃』しかり、そして、今回の『熊野』しかり……。

勿論、舞台としては上質ですし、
玉三郎さん演じる熊野が病床に伏す母を思いやって
思われ人の平宗盛に暇を請う心情は心に迫り来るものがあります。
…それでも、やはり舞台は静寂感いっぱい…。
…娯楽性を慮れば、厳しい点もかなりあるんじゃないか…と
私はこの類の舞台を目にする度に思わなくもないのですが、
玉三郎さんなりのお考えがあるのでしょう。

時として一時期、「ある程度の年齢の域に達したら能面を着けて舞台に立っても…」と
言われていた玉三郎さんを思い出し、
…その内、本当にお面を着けた玉三郎さんの舞台を目にする時が来るのだろうか…
と、考えさせられることもあるワタクシメ……。
…それでも彼の舞台を目にしたいか否か… は、今の私には未知数ながら(!?)
「時の変遷」を思わされた舞台です。

『刺青奇偶』
長谷川伸の名作と言えるこの舞台を私が初めて目にした時、玉三郎さんもお仲が初演でした。
お相手の半太郎は先代(17代目)の勘三郎さんで、涙の中で半太郎に刺青を彫る姿を見ながら
…玉三郎さんはこんなお役が凄く似合う役者さんなんだ… と
子供心に(…年齢はともかく(!?)、今から思えばホンに子供だったのよぉ!?…)
感心したことを思い出します。

…でもですね…、その時も玉三郎さんの目から本当の涙は流れていませんでした。
その後、お相手が当代の勘三郎さんにシフトしてからの再演でも
玉三郎さんの目から涙が流れた姿を目にしたことはありません。
このお仲に限らず、…玉三郎さんは舞台では実際の涙を流されない… と、私は今迄思って来ました。
実際、泣いた玉三郎さんを私は知りません。
感情表現が濃(こま)やかで、すぐに溢れる涙を流す勘三郎さん辺りがお相手で
どんなにオイオイ泣かれても玉三郎さんは泣かない……。
…歌舞伎界の松田~子を見るような coldsweats01 … と内心よく思っていたのですが…!?…。

今回はその認識を覆す大事件勃発!!。
驚くことに、大泣きする半太郎役の勘三郎さんの腕に刺青する玉三郎さんのお仲が
鼻水垂らしながら泣いたんです sweat02
余りの驚きに、客席のあちこちからすすり泣きが漏れているにも拘わらず、
私自身は泣くことをすっかり忘れてしまった程でした。

…玉三郎さんも実際に泣く役者さんでいらしたんですねぇ…

大きな新発見をした想いに駆られておりますワタクシメ……。
お二人の迫真の演技の賜物で舞台は非常に感動的でした。
久し振りに歌舞伎の良さをつくづく感じた気がします。

<夜の部>
4月の<夜の部>は、かなり満腹になる舞台ばかりでした。
各演目を目にしながら、…毎月こんな舞台を目にしていたら、観客の方が早死にしちゃいそうだ!?…
と思わされる程(!?) 、食傷気味になった舞台の模様を思い出してみます。
(食傷気味になる程、役者さんが大奮闘されている!! という証左ではあるんですけど!?)

『将軍江戸を去る』
こちらは橋之助さん、大活躍の舞台でした。
ちょうど、NHK・大河ドラマの『篤姫』も幕末を描いていますし、
近年、『新撰組』等も大河ドラマで放映されたりしているので馴染みやすい作品かもしれません。

若き青年が新時代開幕へ思いを馳せながらも
今までの主君にも義を尽くそうとする心情が溢れて清々しい印象は待ちましたが、
橋之助さんの台詞回しの早いこと・早いこと!!。
…台詞が多すぎるのか、時間が押しているのか… は定かではありませんが
…よく、舌を噛まずに済んでいるわねぇ… といったお馬鹿な感想を持ちながら観劇した演目です。

『勧進帳』
仁左衛門さんの歌舞伎座・27年振りの弁慶、勘三郎さんの10年振りの富樫、
玉三郎さんの20年振りの義経 とファン待望の舞台! といったイメージがかなり強い舞台だけに
客席も期待も大きくて盛り上がったものの、私には3人が3人とも自分の方向で芝居し過ぎ(!?) に写りました。

それでも、仁左衛門さんの弁慶は大熱演!!。
今までのイメージを払拭してしまう程ですが、途中でかなり息切れされて
…芝居じゃなくて本当に息苦しいんじゃない??… と心配になってハラハラ・ドキドキ bomb
その弁慶相手に、台詞が謳う富樫(!?)・能面の義経(!?) は、
それぞれを個々に見れば随一なのは間違いありませんが、
総体的にみると私には …zzz… に見えてしまって……。

それぞれに大熱演されていたと思います。
特に仁左衛門さんには感動された方も多かったようで、
「今夜は、『勧進帳』を見られただけで大満足!」といった感想も聞かれていましたが、
…しかしですねぇ…、3人が見つめる方向がバラバラだと、
どうしても舞台がまとまらない印象を受けます。
その上の大熱演となると、まとまらないけれど非常に濃い印象なって
この舞台で私は既にお腹一杯状態となりました!?。

次回、このお三方で『勧進帳』をなさる機会がありましたら、
3人とも一歩ずつ引いた舞台を拝見したいと懇願する思いです。

『浮かれ心中』
こちらの舞台は勘三郎さんならではの楽しい演目ながら、
平成中村座の『法界坊』等でも必ず、持つ感想として
私には、勘三郎さんのこのノリは非常に疲れます bearing
…ひたすら楽しいんだけれど、ひたすら疲れる!?… この舞台を見ながらつくづく、
…このテンポに全くついていけなくなっている私って老けた??… と思わずにいられません!?。

物語は江戸期の金持ちボンボン(!?)・栄次郎が家業に馴染まず
絵草紙作者になろうとして織り成す喜劇の数々といったお話で、
爆笑続きの中ではあっても、世間では何不自由ないはずの栄次郎が
自ら勘当をされてまで求める自らの天職、真に生きる道を探求する姿には
考えさせられるところも多々ある作品ですが、
とにかく賑やか! とにかく騒がしい!?。
エネルギシュな疲労感を覚える舞台と言えると思います。

それでも、ミッキーマウスのマーチで宙乗りする勘三郎さんには子供も喜ぶことと、いたく感心!!。
フーフー言いながらも(!?)、大いに楽しませて頂いた舞台ではありました。

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2008年4月 5日 (土)

坂東玉三郎 中国・昆劇合同公演 観劇記

  旅行記 : 春の京都散策

【京都・南座】

§玉三郎丈配役
・「牡丹亭」 杜麗娘    月21日観劇
・「楊貴妃」 楊貴妃

中国・昆劇との合同公演となった今回の舞台は全編中国語で上演されました。
中国は大地も歴史も広く悠久なだけに演劇も全く違った趣を持っていて
日本ではかなりポピュラーな京劇に比べると昆劇は色彩も音曲も台詞も
流れるように優美でたおやかな印象を持ちました。
玉三郎さんにとっては入り易かったかもしれないと思います。

特に感心したのは、女方の俳優さんのソプラノも超えるような歌声です。
…どんな発声法を取得したら、この声音が出せるのだろう??… と
聞き惚れてしまう程の美声にただ驚き!!。
また、どちらかというと白黒ハッキリで力強いイメージが先行する京劇に比べ、
玉三郎さんが力強く見える昆劇の芸風に絢爛たる中国文化の一端を垣間見た思いがします。
中国の大きさ・深さは測り知れないですよね……。
そんな舞台感想を少々、記してみます。

『牡丹亭』
昆劇の作品に玉三郎さんが挑んだ舞台で、「杜麗娘」という一役を
3人の女方が演じる舞台となっていますが、
玉三郎さん・董飛さん・劉錚さんの3人がそれは美しい diamond
…女方の美しさに日本・中国の差はない!… ことを思わされました。
また、昆劇の台詞が古(いにしえ)の中国語であることも
とても舞台を流麗にしているように私には感じられました。

その中で短期間の内に、中国語を習得し
歌声を披露された玉三郎さんの取り組みには脱帽です。
昆劇の役者さんに比べて、表情が豊かで動きが大きいのは玉三郎さんらしさとしましょう!?。
(…そのせいか、とても力強く見えることは見えちゃうんですけどネ…)
それでも、昆劇の中に融け込み違和感を感じさせない領域にまで達している舞台は
彼の弛みなき精進を思わせるに十分でした。
…中国本土での公演も喝采を浴びることは請け合い!… を確信しているワタクシメです!?。

また、召使いの「春美」を演じていた女優・朱瓔媛さんの瞳の美しさは
今まで見たことがない程の輝きでした。
彼女の瞳が生まれ持つものなのか・お化粧の仕方なのか、
濡れるように潤む大きな瞳が、「杜麗娘」の儚い生命を嘆く場面にはただ感嘆……。
新人俳優が舞台人として成功するか否かの判断基準の一つは瞳の輝きとはよく言われ
多くの人気俳優の魅力はその眼力(がんりき)にあるとされ、
私自身も海老蔵さんの眼力に打ち負かされることしばしばですが(!?)
今回の舞台ではその瞳の美しさの威力を目の当たりに見せられた気持ちになりました。
瞳の美しさ、大切になさって下さいませネ (*^_^*)

夢の中で恋した人に心を奪われ、叶わぬ恋に嘆き悲しんで
最後は生命さえ落としていく乙女心を物語る筋書きは
ある種、平坦ではあるものの、古典劇らしいと言えるのかもしれません。
しかしながら、今回は原作自体が55幕ある内の<さわり>と言える
ほんの3幕だけの上演とのことなので、物語は壮大で奥深いもののようです。
目にした瞬間に、…原作を手にとってみたい… と思わせてくれる出来映えを思うと
蘇州の取材に出向いたはずが舞台に立つことになられた玉三郎さんにとって
…まず大成功!… と言える舞台であったといえるのではないでしょうか。

『楊貴妃』
こちらは夢枕獏さんの手によって描かれた作品ですが
今回はこの演目も全編中国語での上演でした。
舞台セットも一新され、演奏も中国人の手によるからか、
今まで目にした『楊貴妃』とはまた違った印象を持たせる舞台でした。

ただ、玉三郎さんの楊貴妃が醸し出す幻想的な美しさは変わりがありません。
歌舞伎の舞台とは一味違った独特の趣を漂わせて
現世の二人としては二度と見(まみ)えることが許されない玄宗皇帝への恋慕を
とても切なく謳い上げている作品にされていると思います。

その中で今回、私にとって新鮮な驚きだったのは
方士を演じられた中国の俳優・周雪峰さんが非常にお若かったことです!?。
今までの方士はどちらかと言うと円熟のイメージを持たせる俳優さんが演じて来られたのに比べ、
頭髪は真っ白でも若い俳優さんが演じる方士には何とも言えない清々しさがあって
…方士の神通念力は年齢に比例して与えられるものじゃなかったのネェ!?…
と言った非常におバカな感慨を持ったワタクシメ(!?) 、
(…余りにクレジー過ぎで呆れ果てる思いではあるが!?…)
配役の大切さをつくづく感じさせられました!?。
(…どうやら最近の私、海老蔵さんへの感嘆も含めて
  若いお方に大きな魅力を見出し始めているやも~… かも coldsweats01

中国語での上演が可能となってこの作品も5月には海を越えるようですが
本場・中国の方々にも驚きと喜びを以て迎えてもらえる舞台だと思います。
中国での大成功をお祈り申し上げたいと思います。

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2008年3月14日 (金)

坂東玉三郎特別舞踊公演 観劇記

【大阪・松竹座】

§玉三郎丈配役
・「京鹿子娘二人道成寺」 白拍子花子   月21日観劇

玉三郎さん・菊之助さんによる『京鹿子娘二人道成寺』が
押し戻しまでのフルバージョンを上演するとあって
3年半振りに大阪・松竹座まで出向きました。

大阪まで足を伸ばした今回の舞台の大収穫は
正直に申し上げれば、玉三郎さんではありませんでした。
何と言っても海老蔵さんの圧倒的な存在感を目の当たりにしたことに尽きます!?。
1月の新橋演舞場での一人五役を堂々とやり抜き、
39回公演の切符を完売させた自信と
座長も勤めあげるようになった役者としての自覚が
益々、<市川海老蔵>という役者を輝かせているのでしょうか……。
舞台を目にしながら、…これからの歌舞伎は市川海老蔵の時代を迎える!!… とも
実感させられた、そんな舞台感想なぞをひとくさり……。

『連獅子』
…少々、早すぎな~い??… とも思える海老蔵さんが
親獅子を勤めた『連獅子』は若さに溢れた舞台となっていました。

…『連獅子』って兄弟の物語だった??… と思わせる舞踊自体には
かなりの課題を残しているとは思うものの、
特に3列目の真ん中で目にした海老蔵さんの目力(めぢから)、
光芒を放つ強烈なオーラに圧倒されっぱなし…… shine
…市川宗家の御曹司の舞台とはこのようなものか… とも思わされ
つくづく、…これからの歌舞伎は市川海老蔵の時代が来る!… との
確信を持って帰って参りました。

子獅子の右近さんも、 …心底、踊りが好きなんだろう… と思わせる
躍動感に満ちた踊り手に写った 『連獅子』 ……。
今まで目にしてきた 『連獅子』 とはまた違った楽しみ方を見出したような気持ちです。

『京鹿子娘二人道成寺』
こちらはシネマ歌舞伎にもなった玉三郎さん・菊之助さんによる人気演目……。
市川宗家を迎えることを原則とする押し戻しまでの
フルバージョンになることを楽しみに拝見致しました。

玉三郎さん・菊之助さんのお二人は
今まで通り、時には身二つ、時には一人・花子 といった
可憐で幻想的な娘道成寺の世界を創り上げていらっしゃいます。
特に50代後半を迎えた玉三郎さんにとっては
菊之助さんとのコラボレーションは体力的に嬉しいことではないかと思います。
1日でも長く舞台に立つ為にご自分の体のコンディションを最優先させる
玉三郎さんの姿勢を思う時、舞台を目にする度にファンとしては
…これからもまだまだ目にできる notes…  と嬉しくなる舞台です。

…が…しかし…、私にとって今回の舞台の眼目は
やはり、最後に登場した海老蔵さん diamond
押し戻しの数分間、舞台に立たれただけですが、その印象、強烈でしたよ~!!。

大館左馬五郎の海老蔵さんを目の前にしながら
…彼って口跡もいいんだ!!… と今更ながら感心!!!。
(…エ~ッ!?、今まで気付かなかったのぉ!?…
 ホントに歌舞伎、観てんの~~ぉ??… とは、決して言わないように!?)

すっかり海老蔵さんに魅せられて帰って来たワタクシメ……。
新之助さんの時代同様、海老蔵さんに心奪われると
玉三郎さんがどこかに吹っ飛んでしまうこのは本当に玉に瑕(きず)ながらも(!?)
…お婆ちゃんになるまで歌舞伎を楽しめる糧がいよいよ本格的になって来たことを
 喜んでいいんじゃないか!?… と言う気持ちならされました。

 ~ 玉さまの次に本腰入れるなら、これからの時代は海老さま happy01

を胸に秘めつつ、これからも歌舞伎を楽しみたいと思い入った
大阪・松竹座の舞台でございました!!。

(とは言いつつも、当分は玉三郎さん第一!
 海老蔵さんは玉三郎さんと芝居小屋が同じ時に舞台を楽しむことになりそうです!)

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2007年12月24日 (月)

12月大歌舞伎

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役§
・「信濃路紅葉鬼揃」          鬼女  12月14日観劇
・「ふるあめりかに袖はぬらさじ」   お園  12月21日観劇

今月は筋書・インタビューの始まりが玉三郎さん、終わりが勘三郎さんといった
50代以下が中心となるエネルギーに溢れた舞台となっていました。
画期的な歌舞伎座で初公演となった『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を始め、
感動的な舞台が揃っています。
そんな感想なぞを少々、書き連ねてみます。

<昼の部>
『信濃路紅葉鬼揃』
観世小次郎信光作の五番目能『紅葉狩』を題材に新趣向の松羽目舞踊としたと
説明されている『信濃路紅葉鬼揃』ですが、娯楽性を考えると
お能を踏まえた半切・能面顔の美女が鬼に変化(へんげ)するより
綺麗な赤姫が急に立ち姿・歩き方から驚く程に変わって鬼となる
従来の『紅葉狩』の方が勝っているのでは…、が舞台を目にした第一の感想です。
今回の演出だと前シテの美女たちの動きが少なすぎる為に
変化に乏し過ぎる気がしたのは私だけでしょうか……。
しかし!、鬼揃はかなりの迫力!!。
玉三郎さんが目指す舞台を垣間見た気持ちになりました。

また素晴らしかったのが、勘太郎さんの山神!!。
ちょうど花道・スッポンの近くで見ていたので
特に山神の出と引っ込みの際の勘太郎さんの瞳の輝きに圧倒されました。
彼の眼力(めぢから)は素晴らしいですよ~!。
これからがとても楽しみな役者さんでいらっしゃることを確信した一瞬です。

『水天宮利生深川』 -筆屋幸兵衛-
こちらは勘三郎さんの熱演が涙を誘う舞台です。
…きめ細やかな情愛をたっぷりと表現できる勘三郎さんならでは… ですが、
初演でいらっしゃるからか、少し力が入り過ぎている感じはしました。
肩の力が抜けた時の筆屋幸兵衛は数段、良くなられると思います。

…しかし…それよりですねぇ…、涙する場面で平気でクスクス笑う
観客がこのお芝居を台無しにしていると大いに憤慨したのは
ワタクシメだけでありましょうか… /(>_<)\
子役さんが真剣にお芝居している姿は確かに微笑ましいとはいえ、
涙するところで笑ってしまう観客の感性は正直、理解できません (-_-;)
舞台では勘三郎さんが幸兵衛として本物の涙を流されているのに
子役さんが喋る度に、「クスクス」と笑いが起こるのは何故でしょうか?。
芝居は役者だけが作るものではなく、観る側の観客も舞台作りに
多大な影響力を持っていることを、私達はもっと自覚すべきでは…。
と言う前に、泣くべきところでクスクス笑いして平気でいられる
今の日本人の感性を何とかしないとネ…zzz…。
観客の大半は不思議な日本語を話す若者ではなく(!?)
…今の若い人は… と嘆く中年以降のオバサマ達なんですから……。

<夜の部>
『菅原伝授手習鑑』 -寺子屋-
何度、目にしたかわからない程、目にしている『寺子屋』ですが、
今回の舞台はとても新鮮な出来上がりとなっていました。
何と言っても、海老蔵さんの源蔵が期待以上の上出来 (*^_^*)
確かに素顔の目線が出てしまったり、浮いてしまう場面があったりはしますが
彼が源蔵のような役を堂々と演じ切れる役者に成長されていることに何より大拍手!!。
中でも、勘三郎さんの松王丸との手に汗握る睨み合いは迫力満点!!。
<昼の部>の勘太郎さん共々、代の歌舞伎界を担い行く役者を
目の前にした喜びを感じた舞台です。

勘三郎さんの松王丸は我が子を身替りとして差し出さねばならない
親の苦渋、悲しみが溢れ出ていました。
3列目の真ん中というちょうど真正面で松王丸を目に出来るとてもいいお席にいたお蔭で
我が子の首実検をした悲しみに暮れる松王丸に胸を締め付けられる気持ちになりました。
先代・勘三郎さんの松王丸は絶品と言われましたが、
当代・勘三郎さんの松王丸も彼の代表作となって行くことは
確かだろうと感じたワタクシメでございます!?。

『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
玉三郎さんが現代戯曲の作名作と言われ、上演を重ねる『ふるあめりか~』は
熊本・八千代座の上演以来の観劇となります。
今までの舞台とは異なり、歌舞伎座で歌舞伎として上演される
『ふるあめりか~』は楽しみに観劇しました。

先ず、歌舞伎座で役者総出演での上演に漕ぎ着けられたことに
心から拍手をお送りしたいと思います。
女優さんが舞台に立たれるのと異なり、歌舞伎役者でまとめた舞台は
懐の大きさを感じさせましたし、
特に玉三郎さんと勘三郎さんの丁々発止は実に見事!!。
玉三郎さんも念願叶って満足されているのではないでしょうか。

…ただですねぇ…、坂東玉三郎公演として使われる舞台小屋に比べ
規模も大きく横に広がりを持つ歌舞伎座の舞台は
役者のオーラや作品自体が放つエネルギーを分散させてしまいます。
今回の『ふるあめりか~』もご多聞に漏れず、八千代座等で目にした舞台より
薄まってしまっている感はどうしても否めません。
(とは言っても、そこは歌舞伎役者さんによる舞台……、
 薄まり方は悲惨の領域には届いていないのですが!?)
劇場が芝居の出来不出来に多大な影響をもたらすことを痛感させられた思いがします。

それにしても、玉三郎さんのお園は一時代前のきっぷのいい姐さん!!。
古き良き時代の日本女性の典型を目にするにつけ
…この感性を大切にしなければ… と思わさせれるワタクシメ、
そうすれば涙するところで笑ってしまう情けない観客にならずに済みますもの!?。
つくづく色々なことを考えさせられた今月の歌舞伎観劇でございました。

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2007年11月15日 (木)

坂東玉三郎特別舞踊公演 観劇記

【五反田ゆうぽうと】

§玉三郎丈配役
・「阿国歌舞伎夢華」 阿国   11月13日観劇
・「鷺娘」         鷺の精

今昨年の八千代座から数えると約1年ぶりとなる
玉三郎さんの舞踊公演を拝見しました。
今回は五反田ゆうぽうとでの観劇だったこともあるかと思いますが、
少々思うところ、多々ある舞台でありました。
その感想なぞをほんの少し……。

先ず、五反田ゆうぽとのことから触れてみます。
元々はバレエ公演用に設計された劇場と言われる劇場にはオーケストラピットがありますが
今回はそこも全て座席として使用しての公演でした。
オーケストラピットを客席とする劇場が全てそうなのかはわかりませんが、
私は、オケピのすぐ後ろ…前列から5番目の席だったのですが、この席は驚くほど舞台が見難い!!。
どのくらい見難いかといいますと役者さんの下半身が殆ど見えない状態なのです。
…いくら何でも、これはないですよねぇ … (-_-;) …。
ゆうぽうとにはコンサートや時局講演会等で何度か足を運んでいるものの、
ここまで舞台が見難いと思ったことはなかったので
…舞台によってこんなにも違うものなのね… と再認識させられました。
また、化粧室の数も驚くほど少ない!?。
1ヶ所が異常に混んでいる為、もう一つの化粧室に並んだのですが、
そこは男女共に一つずつしかありません。
となると玉三郎さんの観客層は圧倒的に女性ですから、女性用には長蛇の列!。
それに引き換え男性用はガラガラといった必然的な不均衡現象が起こり、
早めに並んだ私がちょうど男性用の前に居たものですから、
「男性用を使ったらダメでしょうか?」とすぐ後ろの方と話していたところ、
後列のおば様方から、「男性用だって大丈夫よ!。お入りなさいよぉ!?」との
これも当然のお声が沸き上がり(!?)、大渋滞中の高速パーキングエリアでの暴挙以来、
久方振りの <男性用トイレ堂々使用!!!> をさせていただきました!?。
その後、皆さんの続くこと!続くこと!。
「ゆうぽうとは再考の余地、大有りだ!」と声を大にして意見したい心境です m(__)m

といった劇場での(!?) 舞台は、さて如何だったかということになりますが……。
私が今回、足を運んだ目的の演目・「阿国歌舞伎」より「鷺娘」の方が格段に良かった現実を(!?)
今度は書き記してみます。

『阿国歌舞伎夢華』
玉三郎さんはこの演目に平成16年12月・歌舞伎座で初挑戦されていますが、
どうしてか私は目にする機会に恵まれず、今回が初観劇!!。
この舞台が目にしたくて舞踊公演のチケットを抑えたといっても過言ではないので、
かなり力の入った見方をしていたのですが、心に響いて来るものは大してありませんでした。
一つには現実に「傾き者」の仲間と舞い踊る阿国と
今は亡き愛しい人との幻想に耽る阿国の境(というか交わり)に
私が納得できなかったことがとても大きいのかもしれません。
しかし、それ以上の要素として「傾き者」を演じている猿之助一門の皆さんの容姿が
どの顔も浮腫んで(むくんで)汚く見えることも大きな要因ではないかと…zzz…。
特に名古屋山三の段治郎さんの腫れぼったい不機嫌に見える容姿には… (-_-;) …!?。
(…なぞと…、段治郎ファンの皆様、ごめん下さいまし… m(__)m …)
…当時の「傾き者」はみんな、あんなに浮腫んだ顔つきをしていたのでしょうや??…
まあ、平安時代の美形は下膨れですから、浮腫んでいたのかもしれませんが、
下膨れの顔と浮腫んだ顔は明らかに違うと私は思うのですが……。
お化粧の仕方が時代背景に忠実であると言えるのかもしれないとは思うものの、
現在人の骨格は阿国歌舞伎発祥時の日本人の骨格とは違いますもの……。
…忠実であればいいってもんじゃない!?… と、内心ブーブーだったワタクシメ、
ちょうどクライマックスとなる山三との邂逅の場面はその段治郎さんお相手なのですから、
…期待通りの舞台だったと喜ぶわけもなくで… でございました。(…zzz…)

ただ、その中で目を瞠ったのは玉三郎さんの目力(めぢから)の強さです。
ビデオ『東京蜃気楼』で、
「舞台の上ではその風景を見ている。そうすると、お客さんも同じ風景を見るようになる」と
語られたことがありますが、そのことを如実に証明する目力を阿国は見せてくれます。
…実際の阿国はどんな風景を目にし、何を思いながら人生を過したのだろうか…。
そんなことをフッと思い描かせてくれたひと時でした。

『鷺娘』
玉三郎さんにとっても十八番(おはこ)中の十八番だけに、
今回の舞台で何回目の観劇になるのかという程、目にしている演目ですし
今回の観劇目的が『阿国歌舞伎夢華』だったこともあって、
かなり力を抜いた観劇だったはずなのが『阿国歌舞伎夢華』が期待外れだった分(!?)、
『鷺娘』が物凄く上出来な舞台に映ったことを喜ぶべきか……べきかではありまするが(!?)
やはり、玉三郎さんの鷺の精は申し分がありません。
…何よりかにより綺麗だし、しかも儚いし哀しいし…
安心して観ていらる舞台を堪能させていただきました。

直前の『阿国歌舞伎~』に全く不納得だったワタクシメは
…やはり、玉三郎さんの舞台-中でも舞踊公演は美しくなくちゃネ!?…
を心底、実感した舞台でもありました。

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2007年10月26日 (金)

芸術祭10月大歌舞伎 観劇記

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役§
・「羽衣」     天女  
・「牡丹燈籠」   お峰  10月18日観劇

今月は予定がはっきりしなかった<昼の部>は何とか時間が取れた『羽衣』を一幕見で、
<夜の部>は一等席を確保しての観劇をして参りました。
季節外れの『牡丹燈籠』が芸術祭にふさわしいか否かは甚だ疑問ながら(!?)
その感想なぞを少々、書き連ねてみます。

<昼の部>
『羽衣』
歌舞伎座における上演は初めてとなった『羽衣』ですが、
舞台がやけに広すぎるように思ったのは上から俯瞰する形で見ているからでしょうか……。
能舞台に沿った作品を出発としている舞台に、歌舞伎座はどうやっても大きいのかもしれません。
玉三郎さんの優雅な天女の舞を見ながら、
…役者方のオーラが分散してしまうのは、何と残念なことだろう… といった気持ちになりました。
それでも楚々とした美しさが損なわれていない点には拍手を送りたいと思います。

また、ちょうどお隣に座った皆さんが海外の観光客の方々で、
”Do you knouw this story?” と尋ねられたので、以下のような
幼稚園児にも満たない英語力のお恥ずかしさながらご説明しました ^_^;

The angel(Tennyo) who got down in the beach
out of the heaven has forgotten her robe on a pine.
When the Hakuryu of the fisherman finds it and was going to take it home,
Tennyo who noticed that she forgot her robe.
She entreat him "Please wants me to return it".
Because Hakuryu granted the wish and returned it,
she was pleased very much.
And returned to the heaven while dancing.

それでも何とか通じるんだから(!?)、
(…実際にどこまで理解していただけたかは甚だ疑問ではあるが!?…)
臆せず、会話に挑戦することはとても大切ですよね~ (*^_^*)
玉三郎さんのことを、”He is the most famous KABUKI actor.”とご説明したので(!?)、
天女は特に一生懸命見て下さったようで
観劇後、”The costume is very beautiful!” と、衣装の美しさにとても感動されていました。
語学はわからなくとも舞台は人の視覚にも感性にも訴える力を持ち、
素晴らしさはしっかりと伝わっていくことを再認識して
…芸術は国境を越える…と言われる所以を見た思いがしました。
別れ際、ロビーに置かれているチラシを差し上げるととても喜んで下さり、
”Have a nice day!” と手を振って下さいました。

料金も手頃で、上演時間も程よい一幕見席には数多くの海外の方々が観劇にいらしていますが
舞踊劇ならまだしも、<夜の部>の『牡丹燈篭』のような歌舞伎狂言になってしまうと
質問を受けた場合、自分も観劇しながら演目の概要を説明するのは非常に難しいと思います。
(『牡丹燈籠』 で幽霊から貰った小判をお峰が腰を抜かしながら数える場面で
  …「チュー・チュー・タコカイナ…」=「ヒー・フー・ミー・ヨー…」 ながら
   「チュー・チュー・タコカイナ…」の面白さを、どう伝えればいいのか!?… なんて
 考えただけでも難しすぎるもの~~ぉ (^_-)-☆ )
海外の方に向けに英語版のチラシ程度は用意する等、
興行側も少しはサービスを考えてもいいんじゃないか…… とも思わされた一幕見です。
(…一幕見用の英語版イヤホンガイドを格安で本格導入すべきですよね!…)

<夜の部>
『牡丹燈籠』
…秋も深まる季節に怪談話でもなかろうに… と思わなくもないながら(!?)
(…怪談だからではなく、雨の日など空気の冷たさで寒くなりそうですものね!…)
先月とは大きく異なり、気世話物のしっかり女房役の玉三郎さんは
人情味たっぷりな仁左衛門さんとの息もピッタリで、大いに笑える舞台です。
元々、文学座上演の為に書き下ろされた台本らしく台詞の多さには観客が圧倒される感じがして
…覚えるだけでも一苦労だろう… と思う程ですがお二人とも楽しそうに演じていらっしゃいました。

ただ、前半の貧乏暮らしのお峰を演じる玉三郎さんは全くの
「男女(おとこおんな)」に私の目には映ってしまい、
… どんな役者さんが演じられても … でしょうけど、
もう少し何とかならないもの!?… と … (@_@。。。 …
今の玉三郎さんの肌の状態や体格で長屋のおかみさんの顔の作りや
体の線がはっきりと出る浴衣は、かなり、男性を如実に見せてしまうようです!?。
(…まあ、格好もヘチマもない(!?) 役柄なので、
 リアルと言えば非常にリアルではあるんですけれど…!?…)

お芝居自体は爆笑続きの中に、重いテーマを持っています。
貧しくとも夫婦仲良く肩寄せ合っていた長屋暮らしから
幽霊に百両をもらったことで有頂天にもなり、事業も成功させて裕福になってみると
亭主は浮気をし始めて夫婦仲がギクシャクしてしまい
「どっちが幸せか不幸せかわからない……」と呟くお峰の姿に
人間の醜さや悲しさの実相が垣間見えたように思ったのは、果たして私だけでしょうか……。
強欲な知恵を絞るお峰とそれに簡単に乗ってしまった仲蔵や
不義密通の上に殺人まで犯した源三郎・お国が味わう因果応報の悲劇とも相(あい)まって
三遊亭円朝さんによる落語でも語られる作品だけに一つの風刺が奥深い教訓となっています。
深く考えさせられる人生の命題です。

『奴道成寺』
道成寺ものの中でも狂言師・左近が踊る舞台はまた違った趣があります。
安珍・清姫の恋の悲劇が舞台の中でも物語化されている(左近が物語として踊っている)
『奴道場寺』は、素直に舞台の華やかさを楽しめる気持ちがします。
特におかめ・ひょっとこ・お大尽の3つのお面を使い分ける見せ場は
踊り巧者な三津五郎さんの実力を十分に見せていました。
この舞台で玉三郎さんのお弟子さんである玉雪さん、
功一さんの名代昇進のご挨拶もあった上、
昨年の 『二人道場寺』 に続いて、またまた手拭いを手に出来たこともあり(!?) 、
とても楽しめた舞台です。

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2007年10月20日 (土)

-歌舞伎探訪- <歌舞伎>の歴史

【 歌舞伎探訪 : <歌舞伎>の歴史 】


-目次-
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<歌舞伎>の歴史

 

  1.歌舞伎の始まり
  歌舞伎の発祥は、出雲の阿国(おくに)という女性が1598年(慶長3年)に、
  <ややこ踊り>という子供の踊りを披露して人気を得たことから始まりました。
  しかし、お国が年頃になって<ややこ踊り>が踊れなくなった為、
  1603年の北野天満宮興行の折り、<歌舞伎踊り> と改名したところから
  ―歌舞伎― の名が用いられるようになったと言われています。    

  阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったもいわれていますが、
  定かなことは不明です。
  「歌舞伎」は -傾く(かぶく)- という言葉から来ていることは
  「歌舞伎の語源」 で記述しましたが
  阿国はその時代の流行・風俗に合わせた
  派手な着物・男髷・首から十字架・長刀といった
  所謂「男装の麗人」といったスタイルで茶屋の女と戯れる踊りを披露して
  当時の最先端の演芸を生み出しました。
  またこの頃、能舞台などが舞台として使われた名残として花道が作られ、
  下手側が本花道/上手側が仮花道 とされたと考えられています。

  2.女歌舞伎・若衆歌舞伎
  阿国が評判になると多くの模倣者が現れました。
  当初はカブキが -歌舞妓-  と書かれたように、
  当時は女性のみによって行われていました。
  しかし、彼女たちが遊女のような行為もした為、風紀を乱すとして
  幕府の取締りに遭い、<遊女歌舞伎(女歌舞伎)> は1629年、禁止されてしまいます。

  代わって登場したのが前髪を剃り落としていない少年が演じる <若衆歌舞伎> です。
  ところがこの時代は、「衆道」(男性同士の恋愛)が盛んな時で、
  役者を巡るトラブルが多発したり売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行した為に、
  1652年にこちらも幕府から禁止されてしまいます。

  そこで、…若衆の色気がなければ… と、前髪(若衆の象徴)を剃り落とした
  成人の髪型(野郎頭)で舞台を勤める<野郎歌舞伎> が登場し
  歌舞伎の原形となったとされています。
  こうした経緯から、歌舞伎においては男性役も女性役も全て男優が演じることになり、
  男性ながら女性役を勤める <女形> が存在るようになりました。

  3.元禄期の歌舞伎
  元禄年間に入ると庶民文化が全盛となり、歌舞伎も江戸・京・大坂で
  合計11座が幕府公認の芝居小屋となり興行を行うようになって行きました。
  江戸では市川団十郎による <荒事> が大評判をとり、
  上方では坂田藤十郎や女形・芳澤あやめ達による <和事> が流行し、
  娯楽として確立していきます。
  歌舞伎は江戸期の文化爛熟の中で洗練され完成して
  独特の美の世界を形成するに至っていると言えます。

  一方、近松門左衛門等の出現で、「狂言作者」という地位が
  独立した生業として成立していったのもこの頃のことです。  

  4.歌舞伎と人形浄瑠璃
  享保年間に入ると、徳川吉宗の享保の改革に伴う諸政策で緊縮財政が進められる一方、
  大奥女中の江島(絵島)が仕えていた
  7代将軍家継の生母・月光院の代参として増上寺を参詣した帰途、
  山村座の丹前役者(人気役者)・生島新五郎と密会をしたのを咎められ、
  江島は信州高遠に生島は三宅島に流され、
  江戸四座のひとつ山村座が廃絶となった江島生島事件が起こったこともあり、
  歌舞伎人気は衰退しまいます。

  代わりに人形浄瑠璃が盛んになって、浄瑠璃で人気を博した作品を
  歌舞伎でも演じると言う形がとられるようになりました。
  しかし、その人形浄瑠璃が豊竹座・竹本座の凋落で
  衰退すると再び歌舞伎が人気を取り戻します。
  人形浄瑠璃の世界から歌舞伎界に移った劇作者・並木正三が
  舞台機構を考案し写実的な演技が創造されたり、
  浄瑠璃の発達によって舞踊劇も盛んに演じられるようになっていきます。

  歌舞伎は成立の過程から -歌舞伎踊り-
  -歌舞伎劇- に立て分けられるとも言われます。
  舞踊は<若衆歌舞伎>までの流行歌に合わせた踊りを指しており、
  <若衆歌舞伎>ではアクロバットなども行っていたそうです。
  一方、<歌舞伎劇>は江戸時代の庶民の娯楽として製作される内、
  現代に見られるような舞踊的要素を備えた演劇となっていきました。
  <若衆歌舞伎>が禁止される際、舞踊主体の公演は売色等を伴っており
  風紀上望ましくないと考えた幕府より「物真似狂言尽くし」を
  義務付けられたことも演劇的発展の一因となったと考えられます。
  演劇の内容は史実や物語・事件などを題材にして演じる芝居であり、
  <歌舞伎狂言> とも呼ばれるようになりました。
  現代の映画・ドラマにワイドショー的な好奇心を満たす
  視覚・聴覚を動員したエンターテイメントとして形成されていったと言えます。

  また、こうした歌舞伎独特の形式が誕生した一因として
  歌舞伎専用形式の劇場が誕生したことも無関係ではありません。
  引き幕によって時間を区切るという演出は物語に時の流れを自然に導入し、
  複雑な劇の展開を可能にしましたし、
  能の舞台から引き継がれた花道が客席を貫いて
  歌舞伎役者が登場・退場する舞台の一部となったことにより、
  他の演劇には見られない2次元性(=奥行き)を、
  またセリと宙乗りにより3次元性(=高さ)を獲得し高度な演劇へと進化していきました。

  5.文化・文政期の歌舞伎
  歌舞伎が時と共に庶民の娯楽として完成されて行くに従い、
  寛政の改革によって緊縮財政は更に徹底され、統制は一層厳しくなりましたが、
  歌舞伎は更に庶民の中に浸透し盛んになって行きました。  

  文化・文政年間は爛熟した文化の時代と言われ、
  低所得者層にも遊芸の稽古事熱が盛んになって行きます。
  歌舞伎も時代の要求に応じ、鶴屋南北は残酷さ怪奇さを強調し、
  社会の底辺に生きる人達の様子を現した写実的な芝居脚本を手掛けています。
  この頃になると、一人で男役(立役)と女形を演じる、
  いわゆる 「兼ねる」役者 も存在を確認できるようになります。

  6.幕末期の歌舞伎
  天保年間になると鶴屋南北をはじめとする狂言作者や
  人気俳優が次々他界して新旧の交代期となり、
  興行的にも中村座と市村座が火事で焼失したことを期に
  幕府から江戸三座は猿若町(今の浅草付近)への移転の命が下ったり、
  海老蔵(後の七代目団十郎)が贅沢禁止の令に背いた罪で
  江戸を追放される等、凋落していきます。

  しかし、江戸三座がまとめられた猿若町には歌舞伎の小屋だけではなく、
  人形芝居の小屋も建てられたり、観客目当ての芝居茶屋も出来て繁昌し、
  また出演俳優や狂言作者・演奏者・裏方達の住居も出来上がる等、
  芝居の町として幕末期急速に発展をとげて行きました。
  この繁栄が新しい時代・明治期の歌舞伎の盛り上がりへと続いていきます。

  7.近代の歌舞伎
  明治維新を迎えると、それまでの扇情的な題材から
  外人や上流社会の人々の観賞にも耐えうる作品を上演しようという「演劇改良運動」が起こり、
  明治24年には井上馨外務大臣宅に於いて天皇の御前で上演する「天覧劇」が
  当時の名優を一同に会して行われました。
  この事により、江戸幕府下においては役者は士農工商のいずれにも属せず
  河原等の屋外で芝居を上演していた為、
  歌舞伎役者等芸人は「河原者」・「河原乞食」と呼ばれて、
  蔑まれてきた社会的地位を向上させたいという悲願が叶いました。
  明治22年には歌舞伎座が出来、9代目市川団十郎を座頭として
  5代目尾上菊五郎らの名優が次々と名舞台を披露して行きました。

  一方、江戸歌舞伎は、明治26年の狂言作者・河竹黙阿弥の死に続き、
  36年に団十郎・菊五郎の相次ぐ死の前に終焉を迎えていきました。

  明治40年代に入ると洋風劇場(有楽座・帝国劇場)が開場、
  また新劇運動も起こり、旧派(歌舞伎)に対する新派が人気を得る等、
  ヨーロッパ近代文芸思想が普及し、自然主義文学も興って、
  大正初めまでの期間に歌舞伎も大きく変貌を遂げていきます。
  大谷竹次郎は新富座・歌舞伎座・明治座・市村座を買収、
  更に帝国劇場を10年間借りて東京・関西の歌舞伎俳優を掌握し
  歌舞伎の近代化実現に努めました。
  昭和3年にはソ連に於ける初の海外公演も上演されています。

  8.戦前・戦後の歌舞伎
  第2次世界大戦の足音が聞こえ始めた昭和15年には
  大正13年に開場した築地小劇場が国民新劇場となり、
  翌年には日本移動演劇連盟が出来て公演の合間に
  各地への慰問が行われるようになって演劇も軍部政策に組み込まれていきます。
  戦争が激化した昭和19年3月には全国の大劇場に閉鎖命令が出され、
  翌20年には空襲で歌舞伎座・新橋演舞場・明治座など
  多くの劇場が焼失してしまいました。

  終戦後の9月には歌舞伎興行が再開されましたが、
  進駐軍の命令により反民主主義的な演目や仇討ち物の上演は禁止され、
  22年に歌舞伎に深い造詣と理解のあるフォビアン・バワーズ氏の登場を見て
  全面解除するまで古典的な演目を上演することが出来ませんでした。
  それでも、昭和24年末には<武智歌舞伎>が出現したり、
  再建された歌舞伎座や新橋演舞場でも新作歌舞伎が上演されるようになった上、
  演劇のジャンルを越えた共演も行われ始めて
  映画や新劇に出演する歌舞伎俳優も相次ぎました。  

  昭和20年代の終わりになると歌舞伎俳優自身が
  主催する会が次々に行われるようになります。
  29年には東横劇場が竣工、その前年に開始されたテレビ放送では
  歌舞伎も中継されるようになります。
  また、30年からは海外公演も再開され、国際化にも拍車がかかるようになりました。

  40年には歌舞伎が無形文化財として制度化され、 
  翌41年には帝国劇場が再建、国立劇場も開場して
  芝居上演の機会が多く得られるようになります。
  この国立劇場では毎年夏に「歌舞伎鑑賞教室」が開かれて若い観客層の開拓に努める一方、
  地方公演も行われて歌舞伎に触れる機会を増やす努力も行われるようになりました。
  その後も若手歌舞伎俳優のブームやスーパー歌舞伎が大人気を博す等、
  歌舞伎は変わらぬ人気を保って現在に至っています。

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2007年9月22日 (土)

秀山祭9月大歌舞伎 観劇記

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役
・「壇ノ浦兜軍記」 阿古屋  9月19日観劇

今月の歌舞伎座は初代・中村吉右衛門丈の生誕120周年を記念し、
俳号:秀山を冠した舞台 -秀山祭- と言うことで
現・吉右衛門さんが昼夜に亘って大活躍されています。
私にとっては玉三郎さんの純粋な歌舞伎としては
半年振りとなる舞台を楽しんで参りました。

また、今回は初の歌舞伎観劇をなさるご近所のお知り合いをご案内しました。
60代半ばのご婦人なのですが嬉しいことに、
舞台の内容や豪華さ・歌舞伎らしさに始まって
開場前の人に歌舞伎座入り口に集まった多さ、
歌舞伎座の舞台の大きさ、売店の充実振り、
客席でお弁当が食べられることに至るまで
彼女にとっては全て驚きと感動だったらしく
何から何まで 「まあ、凄いわねぇ!?」と仰り、
「これだけの長丁場をこれだけ豪華に作り上げた舞台なら
 \15,000 の観劇料はお安いと思うわ」 という感想を漏らされていました。
…いつの間にか、観劇料がドンドン上がちゃって (-_-;) …
と、ブーブー文句ブーたれるばかりの(!?) 私なぞは
…観劇にも<慣れ>は忍び寄るものなのだ!?…
とつくづく考えさせられ、自分の観劇姿勢を猛省させられた程です!?。

そんな観劇の感想なぞを少々、書き綴ってみます。

<夜の部>
出来れば<昼の部>にも足を運びたいところなのですが、
悲しいかな、9月は滅法、忙しい日々が続いており、
観劇は叶わない状況なので … (+_+) …
その分、<夜の部> をしっかり観させていただきました。

今月、刮目すべき点は何といっても、
吉右衛門さんが本領発揮されていることに尽きます!。
正直申しますと、淡々とした吉右衛門さんの芸風は
私の目には無味乾燥と言うか単調に写ることが多かったのですが
この認識を大いに改めさせられました。

『壇ノ浦兜軍記』
玉三郎さんの阿古屋は何年振りでしょうか……。
相変わらず、豪華絢爛な舞台です。
ただ、この日の玉三郎さんの三曲は少々、空回りしていたような……。
特にお琴の音色が弱々しく聞こえたのは珍しいことだったので
…夏のお疲れでも出ていらっしゃいますか?… と感じました。
その中で、勝国さんが脇に入るお三味線が一番良かったのは
怪我の功名とでも申しましょうか…!?…。
お隣りのお知り合いが、「お三味線が一番澄んで聞こえた…」 といわれたことが
今回の玉三郎さんの出来映えを物語っていて非常に印象的でした。

染五郎さんは眠そうでいらっしゃいましたよ~ぉ!?。
あのお顔がお芝居なら、染五郎さんの成長振りに
脱帽しちゃうワタクシメでありまするが~ぁ!! という程、眠そうなお姿に
…ずっと、座り続けだものね!。染五郎さんでなくとも睡魔も襲うわよね!?…
と、思わされた舞台でございました (-o-)

『身替座禅』
こちらは理屈なく大笑いできる演目ですが、
団十郎さんの右京は硬~~い!!!。
軽妙洒脱な芸風を持つ役者さんの舞台なら
倍は転げ笑い出来ると思わされた程、硬い 。
彼の芸風ではないのでしょう。
玉三郎さんが上方歌舞伎の女形を演じられた時を
思い出してしまったワタクシメ … ^_^; …。
…役者も人間、向き不向きがありますよね…。
どうしてもシックリ来ないお役があることを痛感させられました。

『二条城の清正
こちらはまさに、吉右衛門さんの一人芝居!!。
彼の本領が遺憾なく発揮されています。
吉右衛門さんを堪能されたい方には大いに
お勧めできる舞台と言えると思います。

この吉右衛門さんを拝見していて
…芸風からしても、年齢を重ねた爺役がこの役者さんには
 向いているのかもしれない… と気付き、
私が単調だと感じていた舞台は、若さや華やかさが
売りだったからではないか…… とも感じて参りました。

福助さんが薹(とう)が立ち過ぎている秀頼であることが
大いに気にかかりましたが(!?)
(…どう見ても若干19歳には見えな~いもの~~ぉ!?…)
落日寸前の秀頼と清正の心の機微に触れたとてもいい舞台です。

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2007年3月17日 (土)

国立劇場3月歌舞伎公演

【国立小劇場】

§玉三郎丈配役
・「蓮絲恋慕曼荼羅」 初瀬  3月15日観劇

国立劇場開場40周年記念公演の掉尾を飾る新作歌舞伎、
「蓮絲恋慕曼荼羅(はちすのいとこいのまんだら)」に行って参りました。
40周年を記念して募集した「新作歌舞伎脚本」の中から選らばれた今回の舞台は
かなり哲学的な要素も含んでいました。
そんな舞台の感想なぞをほんのひとくさり……。

この舞台の女主人公は平安時代の中将姫(ちゅうじょうひめ)を設定しています。
元々、中将姫は演劇の世界ではなく仏教史、
中でも、「南無阿弥陀仏」の浄土教の世界で名高い女性(にょしょう)で
継母の殺意からその身を紀州の雲雀山に隠した後、
大和の當麻寺(たいまでら)に入山して念仏に専心し、
蓮の糸で「観経曼荼羅」を織り上げた人物として創り上げられてきた歴史があるだけに
この舞台は宗教説話や仏教観に恋募の情を織り交ぜると言った
哲学的な情緒漂う舞台に仕上がっています。

また、この作者に人生経験の深さを感じられた玉三郎さんが手掛けられた演出らしく
とてもシンプルで精神性の高い抽象的な舞台設定がなされていたことも
より舞台を哲学的な方向にもって行っているように感じました。

…その舞台を彩る役者方は…、と言いますと……。
玉三郎さんの初瀬は年齢的に少々、苦しい気配はあるものの(!?)
透明感溢れる美しさも舞台に満ちており、
段治郎さんや右近さん、笑三郎さん方との違和感もなかったことを思っても
拍手を送って差し上げてよろしいのではないでしょうか。

…ただですねぇ…、作品の主題である初瀬の思想を
観客と共有できているかと言えば、そこは少なからず疑問を感じざるを得ませんでした。
弟・豊寿丸の許されぬ恋情も継母・照世の前の殺意も、父の愚かさも
全ては自分の罪障(=宿命)であると考える仏教観に基づく初瀬の心の在り方や、
その悲しみから當麻寺で世を捨て仏門に入ろうと決意した夜、夢枕に立った亡き実母から
その罪障消滅のために蓮の糸で曼荼羅を織ることが初瀬の使命であり
曼荼羅を織り上げることが宿命に負けた弟や継母を救うことになるといった
仏道修行の中に大きな希望を見出す仏法の宿命観を
舞台で語り尽くすのはやはり限界がある… が私の率直な感想なのですが、
終演後、劇場を後にした一組のご婦人方が、
「舞台は綺麗だったわよ~ぉ!。
 でも、玉三郎さんの演じている女性はちっとも反省していないじゃない……、
 あれはダメよねぇ…zzz…」
と話されていた会話にも舞台が作品の核心を伝えきれていない現実を見た思いがしました。

…初瀬も豊寿丸も照世の前も宿命の前に涙したのだもの…
…でもその宿命を乗り越える為に、初瀬は蓮の糸で曼荼羅を織る使命を与えられたんだもの…
反省のしようも何も本来はないはずですよね……。
でも、舞台の玉三郎さんのお姿は、
…口では、「全て私が悪い…」といってはいるけれど… に見えてしまう……。
宗教思想が織り込まれた哲学的な作品を舞台に取り上げることの難しさを感じた瞬間です。
(…作品自体がもっと娯楽的に昇華されていれば、ただ楽しめるんですけどねェ…
 何事につけ、どっちつかずの中途半端はいい結果を生みませんです!?)

とは言うものの、「世を拾いに参るのです」と語る初瀬に
少年の蓮助が「世拾人ですね!」と語り掛ける最後の場面で
観客の心にも清々しい希望が広がる舞台は
心洗われる気持ちになれるひと時を与えてくれます。

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2007年1月26日 (金)

シネマ歌舞伎 『京鹿子娘二人道成寺』

【東劇】

§玉三郎丈配役
・「京鹿子娘二人道成寺」 白拍子花子  1月16・24日観劇

昨年の4月に鑑賞したシネマ歌舞伎が今回も上演されました。
前回の上映の際、私は生意気にもこんな感想を書き連ねていたのですが

歌舞伎鑑賞の新しい形態として映画による劇場録画中継が始まっています。
がしかし、…芝居は劇場に足を運んでこそ価値がある… と
信じている私は興味を持っていませんでしたが
玉三郎さんの舞台が映画化され、1000円の格安価格で(!?)見られる!
ということを知り …行ってみましょうか… と出掛けてみました。
映画鑑賞の正直な感想を言わせていただければ、
やはり舞台はライブに限ると思います。
生の玉三郎さんの舞台には到底叶わない、が私の実感でした。
…一体、どこが違うかって??…。 それはあなた!、簡単です!。
玉三郎さんが発する <気(オーラ)> が
完全に死んでしまっている(というより存在しない)からです。
中学の修学旅行の折り、京都・太秦広隆寺の
弥勒菩薩を鑑賞したのですが、その当時の弥勒菩薩は外に出ていて、
仏像から流れ出る<気(オーラ)>には
制作者の弥勒菩薩に託した祈りさえ込められていたからでしょうか。
私はその前から動けなくなる程の感動をしたものす。
しかし、大学生になってから再び訪れた時の弥勒菩薩は
センサー付き防弾ガラスの中に入れられガラスに遮断されて
単なる美術品をなってしまった仏像からは何も感じることができなくなっており、
非常にガッカリした経験がありますが、
歌舞伎の映画上映にも同じことが言えると思います。
確かに大画面で前列の方に視界を遮られることもなければ、
映像ならではの異なった角度からの玉三郎さんも楽しめます。
観劇料もリーズナブルで敷居もとても低くなるといったメリットは沢山あります。
がしかし!、やはり!、実際の舞台に足を運ぶことを
第一歩と捉える方が無難ではないか……、と私には思えてなりません。

今回、この生意気極まりない持論が打ち崩されることになりました!?。
それ程に素晴らしかった『二人道成寺』……。
一体、何が私にそう言わせたのでしょうや…!?…。 この答えはとても明瞭!!。
それは実際の舞台を凌ぐほどの <映像美> でした。

玉三郎さんと菊之助さんの『二人道成寺』は初演も昨年2月の舞台も目にしており
2回目の時は玉三郎さんが投げた手拭いがストレートで飛んできたおまけ付き!!。
公演回数50回程度と考えれば、貴重な舞台を肌で感じていたものの
ライブは等身大であるだけに映画で感じた迫力や美しさには負けています。
確かに玉三郎さんの<気(オーラ)>を感じることはできませんが
それを凌駕する迫力と映像美をシネマ歌舞伎は醸し出しています。

<映像美>が<気(オーラ)>に勝ることがあるのだ! という事実は
私の中の観劇姿勢をちょっと・かなり(!?) 変えてくれることになりそうな予感を感じつつ(!?)
玉三郎さん以外のシネマ歌舞伎も機会があったら出掛けてみようと思います。
これから上演される地域にお住まいの皆様、楽しみになさって下さいませね♪。

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2007年1月25日 (木)

寿・初春大歌舞伎 観劇記 <昼の部> 

【歌舞伎座】

§玉三郎丈配役
・「喜撰」 お梶  1月24日観劇

歌舞伎座・<昼の部>を観劇……。
こちらは幸四郎さん・吉右衛門さんご兄弟が大活躍されています。
役者方の個性が光る舞台の感想なぞをひとくさり……。

<昼の部>
『俊寛』

この舞台の眼目は何と言っても吉右衛門さんの熱演です!!。
吉右衛門さんの枯淡ぶりをお好きな方は歌舞伎ファン中でもとても多いと思いますが、
余り得意ではない私にとっては(!?) (← …何と正直ぃ!?…)
熱い吉右衛門さんにかなり感動を呼び起こされて驚き、
行く船に未練をかける最後の場面を目にしながら
…枯れた芸風を持つ役者方が熱演すると俊寛は魂が籠もるんだ… と実感!!。
観る価値の大いにある舞台でございました。

『勧進帳』
こちらは昨年末に上演回数900回を数えた幸四郎さんの弁慶!