1.歌舞伎の始まり 歌舞伎の発祥は、出雲の阿国(おくに)という女性が1598年(慶長3年)に、 <ややこ踊り>という子供の踊りを披露して人気を得たことから始まりました。 しかし、お国が年頃になって<ややこ踊り>が踊れなくなった為、 1603年の北野天満宮興行の折り、<歌舞伎踊り> と改名したところから ―歌舞伎― の名が用いられるようになったと言われています。
阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったもいわれていますが、 定かなことは不明です。 「歌舞伎」は -傾く(かぶく)- という言葉から来ていることは 「歌舞伎の語源」 で記述しましたが 阿国はその時代の流行・風俗に合わせた 派手な着物・男髷・首から十字架・長刀といった 所謂「男装の麗人」といったスタイルで茶屋の女と戯れる踊りを披露して 当時の最先端の演芸を生み出しました。 またこの頃、能舞台などが舞台として使われた名残として花道が作られ、 下手側が本花道/上手側が仮花道 とされたと考えられています。
2.女歌舞伎・若衆歌舞伎 阿国が評判になると多くの模倣者が現れました。 当初はカブキが -歌舞妓- と書かれたように、 当時は女性のみによって行われていました。 しかし、彼女たちが遊女のような行為もした為、風紀を乱すとして 幕府の取締りに遭い、<遊女歌舞伎(女歌舞伎)> は1629年、禁止されてしまいます。
代わって登場したのが前髪を剃り落としていない少年が演じる <若衆歌舞伎> です。 ところがこの時代は、「衆道」(男性同士の恋愛)が盛んな時で、 役者を巡るトラブルが多発したり売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行した為に、 1652年にこちらも幕府から禁止されてしまいます。
そこで、…若衆の色気がなければ… と、前髪(若衆の象徴)を剃り落とした 成人の髪型(野郎頭)で舞台を勤める<野郎歌舞伎> が登場し 歌舞伎の原形となったとされています。 こうした経緯から、歌舞伎においては男性役も女性役も全て男優が演じることになり、 男性ながら女性役を勤める <女形> が存在るようになりました。
3.元禄期の歌舞伎 元禄年間に入ると庶民文化が全盛となり、歌舞伎も江戸・京・大坂で 合計11座が幕府公認の芝居小屋となり興行を行うようになって行きました。 江戸では市川団十郎による <荒事> が大評判をとり、 上方では坂田藤十郎や女形・芳澤あやめ達による <和事> が流行し、 娯楽として確立していきます。 歌舞伎は江戸期の文化爛熟の中で洗練され完成して 独特の美の世界を形成するに至っていると言えます。
一方、近松門左衛門等の出現で、「狂言作者」という地位が 独立した生業として成立していったのもこの頃のことです。
4.歌舞伎と人形浄瑠璃 享保年間に入ると、徳川吉宗の享保の改革に伴う諸政策で緊縮財政が進められる一方、 大奥女中の江島(絵島)が仕えていた 7代将軍家継の生母・月光院の代参として増上寺を参詣した帰途、 山村座の丹前役者(人気役者)・生島新五郎と密会をしたのを咎められ、 江島は信州高遠に生島は三宅島に流され、 江戸四座のひとつ山村座が廃絶となった江島生島事件が起こったこともあり、 歌舞伎人気は衰退しまいます。
代わりに人形浄瑠璃が盛んになって、浄瑠璃で人気を博した作品を 歌舞伎でも演じると言う形がとられるようになりました。 しかし、その人形浄瑠璃が豊竹座・竹本座の凋落で 衰退すると再び歌舞伎が人気を取り戻します。 人形浄瑠璃の世界から歌舞伎界に移った劇作者・並木正三が 舞台機構を考案し写実的な演技が創造されたり、 浄瑠璃の発達によって舞踊劇も盛んに演じられるようになっていきます。
歌舞伎は成立の過程から -歌舞伎踊り- と -歌舞伎劇- に立て分けられるとも言われます。 舞踊は<若衆歌舞伎>までの流行歌に合わせた踊りを指しており、 <若衆歌舞伎>ではアクロバットなども行っていたそうです。 一方、<歌舞伎劇>は江戸時代の庶民の娯楽として製作される内、 現代に見られるような舞踊的要素を備えた演劇となっていきました。 <若衆歌舞伎>が禁止される際、舞踊主体の公演は売色等を伴っており 風紀上望ましくないと考えた幕府より「物真似狂言尽くし」を 義務付けられたことも演劇的発展の一因となったと考えられます。 演劇の内容は史実や物語・事件などを題材にして演じる芝居であり、 <歌舞伎狂言> とも呼ばれるようになりました。 現代の映画・ドラマにワイドショー的な好奇心を満たす 視覚・聴覚を動員したエンターテイメントとして形成されていったと言えます。
また、こうした歌舞伎独特の形式が誕生した一因として 歌舞伎専用形式の劇場が誕生したことも無関係ではありません。 引き幕によって時間を区切るという演出は物語に時の流れを自然に導入し、 複雑な劇の展開を可能にしましたし、 能の舞台から引き継がれた花道が客席を貫いて 歌舞伎役者が登場・退場する舞台の一部となったことにより、 他の演劇には見られない2次元性(=奥行き)を、 またセリと宙乗りにより3次元性(=高さ)を獲得し高度な演劇へと進化していきました。
5.文化・文政期の歌舞伎 歌舞伎が時と共に庶民の娯楽として完成されて行くに従い、 寛政の改革によって緊縮財政は更に徹底され、統制は一層厳しくなりましたが、 歌舞伎は更に庶民の中に浸透し盛んになって行きました。
文化・文政年間は爛熟した文化の時代と言われ、 低所得者層にも遊芸の稽古事熱が盛んになって行きます。 歌舞伎も時代の要求に応じ、鶴屋南北は残酷さ怪奇さを強調し、 社会の底辺に生きる人達の様子を現した写実的な芝居脚本を手掛けています。 この頃になると、一人で男役(立役)と女形を演じる、 いわゆる 「兼ねる」役者 も存在を確認できるようになります。
6.幕末期の歌舞伎 天保年間になると鶴屋南北をはじめとする狂言作者や 人気俳優が次々他界して新旧の交代期となり、 興行的にも中村座と市村座が火事で焼失したことを期に 幕府から江戸三座は猿若町(今の浅草付近)への移転の命が下ったり、 海老蔵(後の七代目団十郎)が贅沢禁止の令に背いた罪で 江戸を追放される等、凋落していきます。
しかし、江戸三座がまとめられた猿若町には歌舞伎の小屋だけではなく、 人形芝居の小屋も建てられたり、観客目当ての芝居茶屋も出来て繁昌し、 また出演俳優や狂言作者・演奏者・裏方達の住居も出来上がる等、 芝居の町として幕末期急速に発展をとげて行きました。 この繁栄が新しい時代・明治期の歌舞伎の盛り上がりへと続いていきます。
7.近代の歌舞伎 明治維新を迎えると、それまでの扇情的な題材から 外人や上流社会の人々の観賞にも耐えうる作品を上演しようという「演劇改良運動」が起こり、 明治24年には井上馨外務大臣宅に於いて天皇の御前で上演する「天覧劇」が 当時の名優を一同に会して行われました。 この事により、江戸幕府下においては役者は士農工商のいずれにも属せず 河原等の屋外で芝居を上演していた為、 歌舞伎役者等芸人は「河原者」・「河原乞食」と呼ばれて、 蔑まれてきた社会的地位を向上させたいという悲願が叶いました。 明治22年には歌舞伎座が出来、9代目市川団十郎を座頭として 5代目尾上菊五郎らの名優が次々と名舞台を披露して行きました。
一方、江戸歌舞伎は、明治26年の狂言作者・河竹黙阿弥の死に続き、 36年に団十郎・菊五郎の相次ぐ死の前に終焉を迎えていきました。
明治40年代に入ると洋風劇場(有楽座・帝国劇場)が開場、 また新劇運動も起こり、旧派(歌舞伎)に対する新派が人気を得る等、 ヨーロッパ近代文芸思想が普及し、自然主義文学も興って、 大正初めまでの期間に歌舞伎も大きく変貌を遂げていきます。 大谷竹次郎は新富座・歌舞伎座・明治座・市村座を買収、 更に帝国劇場を10年間借りて東京・関西の歌舞伎俳優を掌握し 歌舞伎の近代化実現に努めました。 昭和3年にはソ連に於ける初の海外公演も上演されています。
8.戦前・戦後の歌舞伎 第2次世界大戦の足音が聞こえ始めた昭和15年には 大正13年に開場した築地小劇場が国民新劇場となり、 翌年には日本移動演劇連盟が出来て公演の合間に 各地への慰問が行われるようになって演劇も軍部政策に組み込まれていきます。 戦争が激化した昭和19年3月には全国の大劇場に閉鎖命令が出され、 翌20年には空襲で歌舞伎座・新橋演舞場・明治座など 多くの劇場が焼失してしまいました。
終戦後の9月には歌舞伎興行が再開されましたが、 進駐軍の命令により反民主主義的な演目や仇討ち物の上演は禁止され、 22年に歌舞伎に深い造詣と理解のあるフォビアン・バワーズ氏の登場を見て 全面解除するまで古典的な演目を上演することが出来ませんでした。 それでも、昭和24年末には<武智歌舞伎>が出現したり、 再建された歌舞伎座や新橋演舞場でも新作歌舞伎が上演されるようになった上、 演劇のジャンルを越えた共演も行われ始めて 映画や新劇に出演する歌舞伎俳優も相次ぎました。
昭和20年代の終わりになると歌舞伎俳優自身が 主催する会が次々に行われるようになります。 29年には東横劇場が竣工、その前年に開始されたテレビ放送では 歌舞伎も中継されるようになります。 また、30年からは海外公演も再開され、国際化にも拍車がかかるようになりました。
40年には歌舞伎が無形文化財として制度化され、 翌41年には帝国劇場が再建、国立劇場も開場して 芝居上演の機会が多く得られるようになります。 この国立劇場では毎年夏に「歌舞伎鑑賞教室」が開かれて若い観客層の開拓に努める一方、 地方公演も行われて歌舞伎に触れる機会を増やす努力も行われるようになりました。 その後も若手歌舞伎俳優のブームやスーパー歌舞伎が大人気を博す等、 歌舞伎は変わらぬ人気を保って現在に至っています。 |
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