シネマ歌舞伎 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
【東劇】
§玉三郎丈配役
・「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 お園 6月20・27日観劇
昨年12月の歌舞伎座で玉三郎さんの念願が叶った 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 が
シネマ歌舞伎として上映されました。( 東劇 : 5/31~6/27 )
以前もシネマ歌舞伎を鑑賞した折に書き記しましたが、ライブの舞台を映像化することに関して
実際の舞台に満ちている<気>(オーラ)までは伝わらず、感動は薄れるという思いは、
今も私の心の片隅にあります。
しかしその思いを払拭してしまう程の出来映えを感じたシネマ歌舞伎は、
前回、目にした 『京鹿子二人道成寺』 でしたが
今回の 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 も、実際の舞台を凌ぐ映像になっていると
認めていい素晴らしい映画となっていました。
歌舞伎にとっても、画期的なことだと実感します。
特に、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の他の舞台と歌舞伎座での上演を比較して、
…舞台が横に広すぎて役者のオーラが拡散されてしまっているのでは… と
いった感想を持っていただけに、役者をクローズアップできる映像の威力が
今回のシネマ歌舞伎には遺憾なく発揮されていて、とても上質な映像に仕上がっていました。
また、よくテレビ放映される劇場中継等と比較して雑音もなく
映像も非常に綺麗に撮れていて申し分ないと思います。
ここでこの作品の出典を探ると、染崎延房 ・『近世紀聞』 2編の
以下のような一節をあげることが出来ます。
露をだもいとふ倭(やまと)の女郎花(をみなへし)
ふるあめりかに袖はぬらさじ此(この)喜遊(きゆう)の伝(でん)は
其頃(そのころ)阡佰(ちまた)に鱠炙(くわいしゃ)し
今尚(いまなお)口碑に残りたり
這回(このたび)此(この)を綴るに至りて或(ある)一書を閲(けみ)せしに、
渠(かれ)が事蹟を載(のす)る処
是彼(これかれ)同一なるを以て這此(ここ)には抄出なせるなり。
今の開花に比ぶる時は頑僻(がんへき)なるに似たれども、
此頃(このころ)は娼妓だも洋夷(ようい)を悪(にく)む斯(かく)の如し。
況(まし)て慷慨(こうがい)の有志をや。当時の風俗推(おし)て知るべし。
幕末から明治維新にかけての激動期、日本は、<攘夷派> と <開国派>に分かれました。
しかし、これを女性の立場から取り上げてみると、数百年に及ぶ鎖国は
異人を忌避する風潮を生んで行ったといえるのではないでしょうか。
その中で亀遊(喜遊)は、医師・太田正庵の娘として少女時代を過ごし、
両親の死後に吉原で遊女となった後、
横浜・岩亀楼に住み替えて「喜遊」を名乗るようになり、アメリカ人・イルウスに見初められたものの
同衾することを拒否し、…短剣にて喉を刺串(さしつらぬ)き… 自害したと伝えられています。
こうした伝承を咀嚼して、優れた戯曲に創り上げた
有吉文学の力量には脱帽せざるを得ませんし、
何と言っても、お園というとても魅力的な女性を登場させることで、
豊かな彩りが添えられると同時に現代社会にも通じる問いかけをも発するに至っています。
また、戯曲・『ふるあめりかに袖はぬらさじ』をより楽しめる作品へと高めるのは
お園を演じる役者の力に任されることになるといえましょうか…。
私の中でお園は女盛りの30代後半、
…お節介で情に厚いがお酒とおしゃべりが過ぎて
… の芸者姿の向こうに
ただひたすらにその時を生き抜こうとした女性のけなげさ・ひたむきさが、
観劇するたびに胸に沁み渡るのも舞台のお園像がもたらしているのに間違いないことを思うと、
…どんな役者が演じるのか… がどれ程、重要なことであるか…… をつくづく思わずにいられません。
この点、杉村春子さん以上の上演回数を数えるようになった玉三郎さんのお園は
とても原作に忠実でありながら、書籍の枠を飛び越えた魅力を放っているのではないでしょうか……。
だからこそ、上演回数を重ねて来られたとも言えると思います。
この作品の眼目は、亀遊の死は極く個人的な感情から発作的に起こった自殺だったと言う 【実像】 が
時代の激流の中で、<攘夷女郎>として志を貫いた自害と言う 【虚像】 にすり変えられ、
利用価値を生んで独り歩き( というより暴走(!?) )し始めてしまう世の中の不条理を取り上げ
その渦の中にお園を置くことによって、 【虚像】 が時として社会の現実としてまかり通ってしまう滑稽さを
涙と笑いの中に描き出している点にあるのではないか…… と私は思っているんですけど、
玉三郎さんのお園は、そんな社会の摩訶不思議をとても雄弁に語っているように思います。
それだけに、最後に抜刀された恐怖に腰が抜けたまま毒づく場面で
「みんな嘘さ、嘘っぱちだよ。
おいらんは・亀遊さんは、淋しくって・悲しくって・心細くって、ひとりで死んだんだ…」 には
心に深く響く優しさが溢れていました。
しかしながら、役者を大胆にクローズアップ出来るだけに
実際の舞台では感じることもない感想を持たせてくれる一面もあります。
…突出した新しい驚きを取り上げるとすると…、
作者・有吉佐和子さん独特の時代を風刺した喜劇だけに
玉三郎さん演じるお園が粋も辛いも噛み分けた
年増芸者としての着付けや化粧の仕方をしているからでしょうか……。
玉三郎さんの男性と年齢を感じさせるお姿には少なからず、吹っ飛ぶ場面が数回あります!?。
特に全編を通じて感じさせられるのは、玉三郎さんの声音(こわね)が壮年男性のそれであること!!。
年増となると、どうしても高い音域の声には出来ないのですから低くなるのは当然なんですけど、
実際の舞台では動く出演者を目で追うことに心を奪われているからでしょうか……、
観劇した時にはそれ程、感じなかったその声が
すっかりある程度、年齢の行った男性になっているのにはかなり驚かされます。
また、攘夷派の前で辻褄の合わない話を披露する失態をしでかして刀を抜かれ腰を抜かすものの
「抜き身が怕くて刺身が喰えるかってんだ!」と強がる最終場面の
お園の腰から下のラインは、丸ごと男性そのもの~~!!。
…この方、男性だったんだ!!… と痛感させられる一場面になっていること、請け合いです!?。
( …って…、これじゃぁ、褒めてるんだか……してるんだか!? ではありまするが
)
シネマ歌舞伎の中のお園の玉三郎さんを目にしていると
…女形である前に、この方は <役者> でいらっしゃるんだなぁ… との思いで
久し振りにいっぱいになりました。
私が玉三郎さんを、…単に綺麗なだけの女形だけではなく、一人の <役者> でいらっしゃる…
と実感したのは映画『ナスターシャ』のムイシュキン公爵ですが、この時と同じ感銘を受けた心持ちです。
いつもの舞台で観ている玉三郎さんとはまた別の顔を垣間見ることが出来る
とてもいいチャンスとも申せると思います。
それからお化粧の仕方を言えば、アップになった時の勘三郎さんの老け具合が
しっくり似合ってしまってる点も凄いですよ~!!。
…彼も初老だったのねぇ!?… と、思い切り感じさせられました!?。
(…って…、実年齢を考えたら、確かに初老でいらっしゃいますから、
当然と言えば当然のお姿なんでしょうけれど!?
← …でもねぇ…、やっぱり・ちょっと納得できないのは、如何なる故でありましょうや??
我ながら不思議な気持ちになりました。)
今後も勘三郎さんの 『文七元結』 や 『三人連獅子』 等が上映予定の由……。
DVD化されることも切望しつつ、これからも大いに楽しみたいと思います。
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